みんな一緒に

脱穀からスリランカの人たちについての習慣についての話になっちゃったけど、この脱穀という日雇い状態のお仕事に集まってくれた人たちのことについてもう1つ。
私がこれが日本とはやっぱり違うスリランカの現状なんだよな〜と常々感じてることなんですけどね。
今回脱穀のために集まってくれた人たちの中によく見かける顔の2人がいました。
普段村をふらふらと歩きまわってるのを見かけるけど何かあるとお手伝いに来てくれる人で、1人が写真に写っていたピンチャさん。
もう一人はいつもコロンボに帰る時に空芯菜(カンクン)、ゴトゥコラなどの葉物の用意のお願いをしているおじいさん。
葉物を持ってくるおじいさんは時々家にやって来てお願いすると小学校の時に先生から教わった歌を上手に歌ってくれるんですが、時々歌詞が間違ってます。
でも笑われながらも間違いも分からずに言われるままに歌ってくれるホント無邪気なおじいさん。
このピンチャさんとおじいさんの2人、実は子供のころに十分に学校に通うことができなくて、いろいろな事を良く考えて行動したり、理解する事が難しいそうです。
事あるごとにお手伝いが必要になるとこの2人には声を掛けるようにしている田舎の家のアンマー。
2人にお手伝いとしてお小遣いが出せることを暗に伝えているんです。
『今度脱穀するから手伝いに来てね!』
(手伝いに来ればお昼ご飯を用意しお小遣いも渡せるから。
毎日のお小遣いも必要でしょ?)

おじいさんはそれでも最後まで頑張って手伝えばお小遣いが貰えることが分かっているのでがんばる。
が、これまたピンチャさんが難関。
ピンチャさんは・・・その辺りの事もよくわからず、本能的に野生的に生活してしまっているのでこちらはもちろん今日働いてくれている頭数に入れてお金も用意しているのに、疲れたな〜と思うと途中でもフラッとどこかへ行ってしまうんですよね。
人によっては後日
「途中でどっか行っちゃダメでしょ!?はい、この間のお小遣い。」
と渡してくれればまだいいけれど、最後までいなかったからとお金を渡さない人ももちろんいる。
でもそれでも
「お金をください。」

とは言わないピンチャさん。
そういうこと自体がすでに分からないのだという。
もちろん、本人の頭の中にお金の価値という概念はたぶんほとんどありません。
「だからこういう時にはなるべく手伝いに来てもらってお小遣いを渡してあげないと。
ただでお金を分けてあげる余裕はウチにはないけど、手伝いに来てくれれば普段よりも良いご飯は食べられるわけだし、お金も多少なりとは渡せるから。
一緒の村にいる人なんだから分からないならみんなで気にかけて面倒を見てあげないといけないでしょ?」

そういう田舎の家の家族。
ピンチャさんは本当は両親から引き継いだ自分の持ち家もあったハズなのに、両親がいなくなった後、遠くに住んでいた親族が急に来て住みだして居心地が悪くなったからと今は家にも帰らないで、よく自分にお手伝いを頼んでくれる人の家の庭で寝泊まりしているんだとか。
本当は自分の家だから急に来た親族には出て行ってもらう権利は十分にあるのに、それも伝えなくてはいけないことが分からず逆に自分が家を出てしまった。
このまま数年その親族が住み続ければスリランカでは最後には
「自分たちの家だ」
と権利を主張することもできるようになる。
村の人たちはピンチャさんがこの後きっと家を失うだろうことは分かっているけど、親族内の話に他人が出て行くこともできない。
そしてピンチャさん自身がそれを分かっていないからどうしようもない。
だからこそお手伝いとして手伝ってもらうことによって少しでも生活の手伝いができれば・・・。
これがコロンボならこういうことにはならないんじゃないかな。
もちろん日本でも・・・。
でもこういう人たちも当然のように身近にいて面倒を見合いながら生活しているのがスリランカの田舎。
この日はピンチャさんも何とか最後までお手伝いしていってくれたみたいです。
どこかへ行ってしまいそうになったら
「どこ行くの!?もうちょっとだから手伝って!」
と声をかけて見ていてあげないといけません。
それって日本で言ったら障害のある人ってこと?って思うかもしれませんが、障害ではないんです。
だって、ピンチャさんもおじいさんもお葬式なんかがあると1人でちゃんとどこからか用意してきたきれいなお葬式用の服を着てちゃんと式場でお手伝いしてます。
特にピンチャさんはどこから服を持ってきているのか、普段の服もどこに置いているのかもみんな知らないらしいです。
ただ、学校に通って世界がどうなっているのか、どのように物事を考えたらいいのか、それを知ることができなかっただけ。
本当に最低限の自分の身の回りのことはわかるけどどう生活したらいいのか、未来のことをどう考えたらいいのか、それはわからないみたい。
このくらい物事が理解できない人がいること、日本にいる時には正直考えられなかったけどでもこれがスリランカ。
今日も途中家の外に走り出ていったジローにも勢いよく吠えられて、びっくりしてどうしたらいいのかわからなくなって田舎の家の家族とジローを交互に見て笑っていたピンチャさん。
みんなこの土地という船に生まれた船の一員。
相手がどんな人でも近所に住んでいるなら一緒に協力し合って生活していくのが田舎での暗黙の了解なんでしょうね。
物事を考えられる人、考えられない人、学ぶ事のできた人、できなかった人、知る事のできた人、できなかった人、学校に通えた人、通えなかった人、全部ひっくるめてみんなで一緒に穏やかな生活を。
特にピンチャさんはまだそれほど歳も取っていないし人生はまだ長いけど、その人生が変わって行くスリランカの中でも穏やかに過ぎていきますように。

タイトルとURLをコピーしました