言葉を覚えるということ

シンハラ語

先日は形容詞の活用をする息子をみて思ったことを書いたけど(2020年9月9日参照)、今日は子供達の英語教育から思うこと。

夫がスリランカ人と言うとよく聞かれるのが
「子供は何語が話せるのか?」
「家の中では何語で話しをしているのか?」
というあたり。

我が家の場合、現在は
私と夫はシンハラ語と日本語
子供達は英語と日本語
で話してますよ。

え、英語は誰が子供に話すのって?
それは…英語教材にお任せしちゃってます。😅
今回は子供が言葉を覚える過程についての話なので英語教材が何か、ではないんですけど、その英語教材はすごいです。確かに。(どんなのかどうしても知りたい方はここでは取り上げないので個別に連絡ください。)
使い始める前もできるだけ英語で話しかけるように心掛けてはいたんですが、始めてからは勝手にどんどん話すようになり、今は娘と息子、2人の間の会話は6〜7割が英語になってます。
ごっこ遊びとかこっそり見てると全く日本語は話していない状態。
家の外では周りに合わせるのか日本語になっちゃってますが、家の中では英語で話してます。

そんな子供達が英語を覚えていった様子を見ていて思ったのは、やはり繰り返して同じ言葉を聞くということの大切さ。
子供にテレビを長時間見せるのはよくない、という話はよく聞くんですが、我が家も地上波だったりバラエティのテレビをダラダラ見せることはしないものの、英語教材や映画(英語のもの)は比較的見せちゃう方です。
というのも1つの映画が終わった後、今終わってエンディングテーマがまだ流れているところなのに
「もういっかい!」
って言われるんですよね。
え〜!?今見終わったところじゃん?
って突っ込んでしまうし、一緒にいるこっちとしても同じものを何度も見るって退屈でグッタリしちゃうんですが、子供の頭の中ではこの時、インプットが行われているところ。
それが英語教材だったり英語の映画だったりする時にはそのストーリーのどこかが気になってそれを見るためにもう一度見たい!と思っているということ。

私たちも何か言葉を覚えたいと思った時にはその言葉を繰り返して読んでみたり、言ってみたりするように、子供達も覚えたい部分を見たい。(子供なので覚えたい意識より見たいが先行してるんですけどそれが覚えることにつながる。)
でも今見たストーリーの中で「どこ」ということは言えないし、どこだったかも覚えていないし、だからもう一度最初から見たい。
たぶんそんなところじゃないかと思うんですよ。

何かを覚えようとする時、やっぱり一番いいのはその時にすぐに繰り返すこと。
映画を1本見た後、すぐにもう一度最初から見せるのは本来なら良くないことだけど、我が家の場合は私も家事で忙しかったり畑に行かなくてはいけない用事があったりすると、ココで別のものを見せてしまうとせっかくのインプットが止まってしまうので同じ映画をもう一度見てもいいと許可をすることがあります。

1日にある動画を1回だけ見てもいいとした場合、その動画を10回見るためには10日間かかるわけですが、それを1日2回にすると5日間。3回にすると4日でクリアできる。短期間で繰り返せば繰り返すほどやっぱりインプットの速度は早くて、インプットし終わると始まるのはアウトプット。
子供達はあっという間に映画や教材の言葉や歌を真似して口に出すようになる。

そのことが見ていてわかるからこそ、気になる映画や動画は短期間で集中的に繰り返し見せたり聞かせたりするようにしてます。
我が家の場合、Amazon primeにお世話になってますが、テレビをつけるなら英語教材を見せるか映画を英語で見せるか。
日々のニュースは私はスマホでチェックするし、夫は会社で休憩中の付けっ放しのテレビから得ている程度。よほど気になるものはテレビのニュースで見たりもしますがテレビはついている時にはほぼ英語を喋ってます😅

で、そんな子供達のインプット、アウトプットがどうの、ではなくてそこから思う私たちが言葉を覚えるには、という話。
子供のそんな状態を見ていて思うのは子供があれだけ集中して繰り返すことによってここまで言葉を覚えていくのであれば、私たちも同じようにすれば多少脳の劣化があったとしても同じように覚えられるんじゃないか?ということ。
もちろん「興味」というモノもあるので、それなりに興味のあるものを聞かないといけないかもですが、私もシンハラ語の会話を覚え始めた最初の頃、毎日の朝のミルクティーを作りながら同じ絵本を毎日毎日繰り返して音読してた。

最初はミルクティーを作り終えるまでに読み切れなかった絵本が、数週間の滞在の間にミルクティーが出来上がる前に余裕で読み終えられるくらいにまでなり、最後にはもう絵本を見なくてもある程度言えるくらいになっていたんですよね。
それが会話に通じるのか?というとすぐに使えるようにはならないけど、その後の滞在の中のポイントポイントで確実に役には立った。

そう考えると何か言語を覚えたいと思うのであれば、その言語の何か同じ言葉を繰り返し繰り返し、しつこいくらいに聞くというのが良いことなんじゃないかと思う。
もちろんそのためにその言語が日常的に使われている世界にいる、ということも有効だけど、ただそこにいるだけだと自分の周りで発生する無作為に発せられる言葉を聞き続けることになる。
それは繰り返しその言語を耳にするだけの話で、繰り返し特定の言葉を聞くということとは少し異なる。

大切なのは特定の言語の、更に特定の言葉を繰り返し聞くこと。
だからシンハラ語で考えればシンハラ語を話す人たちと一緒にいても話せるようにはならないわけで、シンハラ語の特定の言葉、同じ言葉を何度も聞くこと。

こんなに長々と子供の話から書いてきて、ここまできて「当たり前じゃん!?私何言ってるの?」って今思っちゃいましたが…そういうことです。😅
やっぱり集中できるからって深夜にこういうこと書くと大したことは書けないですね💦

とにかく!シンハラ語が話したいと思うなら、シンハラ語を話す人がいるところへ行くだけではなくて、同じシンハラ語を何度も聞くこと。そこから文法や会話を感じること。意識はなくてもそのインプットが終わった頃、無理しなくてもアウトプットが始まる。
そんなふうに思います。

そうそう、少し前にシンハラ語について質問を受けたんですが、私のシンハラ語教材も使っていただいた方で、他のシンハラ語教材で音声があったので聞き流しているけれどなかなか難しくて…って言われました。
私は他の方のシンハラ語教材を正直見たことがほぼないのでわからないことと、反対に自分の教材のことはよく知っていることを踏まえてですが、1つ言えるのは私の教材のシンハラ語を読んでいる音声を内容の理解をした上で何度も聞き流すのは有効になると思います。

例えば車の中であったり移動中に聞き流してもらうのは、作った私とすれば私の声をずっと聞き続けてもらうって考えただけでも恥ずかしいところですけど、でも絵本の朗読をしている状態なので、それを嫌になるまで聞いてもらうということは今後必ずどこかで役に立つのは間違いないと思います。

実際に教材を十二分に使い切ってくださった方に
「暗記できるくらいまで何度も読んだけれど、それから1年くらいして今ジワジワきてます。」
って言われたことがあります。
ちなみにシンハラ語に興味があって、スリランカ人のお友達がいて、でもスリランカには一度も行ったことがない方でした。
おそらく、インプットがしっかり終わってアウトプットしかけている状態だったんだろうなと今考えると思うんですよね。

言葉を覚えるってただ意識して頭で覚えれば習得できるわけではなくて、自分では意識していないインプットとアウトプットのタイミングを見計らってやっていくといいのかもしれないですね。

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