貧しいということ

日本はスリランカより裕福。
だから日本からもいろいろな支援がスリランカに来ている。
そんなスリランカだけど、時々、貧しいっていうのはどういうことなんだろう?と考えると一言では言えない難しさを感じる。
最近、大学のある学生が自分の家が貧しいことを涙ながらに訴えて、周りの人から個人的にいろいろな支援をしてもらい、毎月2000ルピーの個人寮に住み始めたことを聞いた。どうしても年間600ルピーの大学寮には入れないと訴えて。
(大学、大学寮内には下級生いじめがあるので特に新入生は寮に入るのを嫌がることがあります)
中には両親、親族など身内が誰もいなくても大学寮でそんなことを感じさせずたくましく生活している学生もいるから、そういった面で見ると贅沢というか、不公平というか・・・うまくやったというのか・・・。
そんなことを考えていて田舎の家の家族にそっと聞いてみた。
スリランカって貧しいところにいろいろ支援が入っているけど、この村は貧しい村になるの?貧しいっていうのはたとえば国内どういうところが貧しい場所になるの?
スリランカでもなかなか聞きにくいことだし、人によってもさまざまな答えがあるからこれがすべてではないと思いつつ。
するとゆっくり考えながら答えてくれた。
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この村は確かに貧しいといえば貧しい。
でも村っていうのはスリランカどこに行ってもこんなもので、それが貧しいかといえばこれが普通。
コロンボからすればこんな貧しくてかわいそうにと思うような生活かもしれない。
でもここではこれが普通なの。
貧しいというのは裕福に対して考えるから貧しいというのであって、裕福と対にしなければ貧しいのではなくてこれが普通になるんじゃない?
「私たちは貧しいから」という言葉は裕福と比べて出る言葉で、比べなければそんな言葉はそもそも出てこないと思うよ。
よっぽどでない限り自分の今ある環境の中で必死にがんばっている人は他の人に「貧しいから・・・」とはなかなか言わないでしょう。
確かに時々テレビのない家の子供が近所のテレビのある家へ行って、部屋には入れてもらえないけど窓の隙間からテレビを見させてもらっているのを見かけたりすると「かわいそうに」と同じ村の中でも思うことはある。
それが世界から見たら貧しい風景かもしれないけど、でもスリランカの村ではまだそれが日常にある。
貧しいって正直、きっと日本からすればコロンボにある学校だって設備は足りないだろうし、そういう目で郊外に行けばどこに行ってもびっくりするくらい貧しいことになると思うよ。
この村は確かに学校の生徒は少ないし貧しいといえるかもしれない。
でもKeikoは知らないかもしれないけど、反対に実はこの地区はスリランカ国内でも「生涯仕事に就かなくても生きていける場所」ともいわれる事のある場所。
現代的なものはなくても、食べ物は豊富に実る。だから物はなくてもここの土地が欲しい人はたくさんいる。
ほかの村だって田舎は確かにどこもこんなもので貧しく見えるかもしれないけど、都会にはない良いところもたくさんあるのよ。
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確かに最初にこの村へ来たころ、近所の小さな子がパンツ一枚で道路を走ってきたことがあった。
しかもお尻のところが破れたパンツで・・・。
それも貧しく映るのかもしれないけど、近所の家族のようによく知った人の家までと思えば他に誰も見ていないしまあいいか。となるのかもしれない。
正直、私から見てもこの村は日本とはずいぶん違う。
雨がたくさん降れば漏電の危険を回避するために電気の供給は止められてしまうし、そうなると次にいつ電気が来るのかもわからない。
携帯電話の電波も通じないし、現代の生活から考えれば不便なことこの上ない。
でも貧しさを感じさせないほどの違った豊かさがあると思う。
実はスリランカ、村では牛の糞によるバイオガスを使って生活している人も稀にいる。
噂では電気までもバイオガスで補えるほどうまく使っている人もいるらしい。
もちろん作るのにはかなりのお金が必要になるから使っている人もわずか。さらにそれを維持していくのも大変。
でも牛の糞や普段の生ごみを集めてガスを使い、その後それを畑の肥料にして野菜を作る。そういうのを見ると身の回りにあるものを上手に使っていると思うし、都会では絶対にできないこと。
コロンボは住みやすい。村は不便。でも反対にとても力強い[[pict:kirakira]][[EE:SE14C]]
コロンボには現代的な住みやすさがあるけどそれは作られた住みやすさ。
村は貧しくてももっともっと、言葉にするのは難しいけど力強い住みやすさがあるように思えた。

話とは関係ないですが・・・
アンマーのことが大好きなこの家の番犬


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