選挙権から思うこと

日本とスリランカ

昨日の夕方、こんなニュースを見かけました。
10月18日に行われて選ばれた岡崎市の新市長さんは今回選挙時の公約の中に5万円を給付するって書いていたんですよね。
18日の選挙で当選したのち、それについてできるのか?できないのか?というニュースだったんです。

そんな「選挙」について。
国際結婚あるあるっていうのかどうなのか、我が家の場合、今のところ選挙権があるのは私だけ。
なので夫とも選挙について話はほぼしていなかったし選挙カーが走ってくるようになって、夫にとっては多少賑やかになったね😄くらいの感覚しかなかったと思うんです。

そして選挙終わった翌日、
夫「ところで選挙いつ?行くの?」
私「昨日終わったよ。投票は一昨日、期日前投票でやってきたよ。」
というおかしな会話ができあがり!😂

と思っていたらその翌日
「会社で『5万もらえるみたいだよ』ってパートさんが言ってたけど、なんの話?どこからもらえるの?」

選挙権もないし、テレビや立候補者を見ていなければ確かに周りのことからは置いていかれがち。
私もスリランカにいた時ちょうど逆の立場だった。私はスリランカのこと色々知りたかったし、国内の動向をリサーチしている子もたまたま近くにいたから色々情報は聞いていたけど、でもやっぱり選挙権はなかった。

選挙権がないというのは選挙、政党と無縁でいられる気楽さもあるけど、それと同時に何がどう変化しても受け入れるしかない立場でもある。
言い方を変えれば蚊帳の外に置かれた感じ?
だからこそ第3者的に一歩引いた見方にもなる。
私もスリランカにいた時に一歩引いて色んなことを見ていられたのはたぶん何がどうなっても当事者にはなれないことがわかっていたからだし、だからこそ今、夫が日本に対してテンションが低いのも理解できる。

お互いがお互いの国でどっぷりローカル生活をしてみたことで、お互い自分の意見を反映する場所がないからこそのテンションの低さ、興味のなさの元にある気持ちを理解することができるわけだし、そういう意味で私だけがスリランカ生活を体験するよりも良かったのかもしれない。ふとそう思ったのでした。

————————————-

ところで、今回の市長選挙でその公約5万円についていろんな意見が飛んでいるわけで…。
5万円という言葉で票を入れた人がいるとか、そこに惹かれたわけではなく公約をよく読んで投票したんだ、などなど。
でも正直これがスリランカでの選挙で、例えば物価も違うし、5万はありえなくても5千ルピーを給付と書いて選挙に出たとしたらその後言われることは容易に推測がつく。

落選したら:5千ルピーで市民を買おうとした
当選したら:5千ルピーで市民を買った、5千ルピーで買われた市民。

まず間違いなくそんな書き方をされると思う。
メディアとしてもそう書くことを選挙が終わる前から考えて、選挙が終わったところで満を持して新聞に大きな見出しを載せるんじゃないかと私は思う。

そこから考えると公約に給付する金額をわざわざ書かなくてもよかったんじゃないかと思う。
もちろん書くことによって気概を伝える、見せることにはなるんだけど。

日本ではそれについて「そこを必要と思っていないけど、他の公約が必要だと思って一票を入れたんだ。」その言葉が聞いてもらえることがすごいと思う。
スリランカだったらそんな言葉は「建前にすぎない」で一蹴されるし、そう言われることがわかっている上で票を入れる。入れた方も言われることがわかっているし入れた時点で「お金が欲しかったからね〜笑」で笑いに持ち込むのもアリ。
「そのお金が欲しくて一票を入れたんじゃない」なんて最初から言わない。言う人がいるならその人のよほどの支援者くらい。

そういう意味でスリランカでお金を給付することを立候補者が書くのであれば、それがいる、いらないの次元ではなく、そこから起こる批判を上回る何かしらの策があってのことになるはず。スリランカの政治家の人たちって良くも悪くも本当にビックリするほど頭が良いので。
そして有権者もこれはこの後に何かのカラクリがあるぞ、と思いながらそれに乗るか、乗らないかで一票を入れる。

反対に現在そこの批判や意見でぐるぐる回っているのが日本。
今回のことは日本でのことだから、ニュースも今の所5万が払えるのか、どうなのかという報道だけど、この5万が「え!?そういうことだったの!??」って驚くような何かがあったらワクワクするんだけどなぁ。
このまま本当に配布してそれでおしまいだけの話ではなくこれからの何かの布石にすることを新しい市長さんが考えていたら政治を見ていても楽しくなる。

そういう意味で、こんなタラレバは絶対にありえないと思いながらもスリランカの政治家ならどんなことを考えてこの公約を言っただろうか?
もちろん私にはその先のアイデアなんて思いもつかないけど、それだけスリランカは政治も報道も全て計算されて利用されている、日本は逆により純粋に市民のことを考えている人たちが立候補しているってことの表れなのかもしれない💦

いろんな意味で日本に生まれてシンハラ語が好きになって、スリランカも好きになった私は、当事者としてスリランカを見ることをしなくていいこの蚊帳の外の立場に要られて本当に良かったのかも?って思いましたとさ😅

タイトルとURLをコピーしました