スリランカのクラヤ

きっと普段ズバリ聞くことはなかなかためらわれるけど知りたい人が多いと思うスリランカのクラヤ(職能、日本語でいうとカースト)。
スリランカでは現在は「クラヤはない」という人もいる。
でもやっぱり100%無くなっているかというとそういうわけでもなく、大学の授業でもそういったことに十分注意しながら説明される。
今年の大学院では授業数が減ってしまい試験のために急いで説明しなくてはいけなくなったため20種類のクラヤが一気に読み上げられたけど、本来それも異例中の異例。
授業を聞きにきている生徒自身のクラヤの問題もある可能性があるから、通常そういった意味で特徴のある重要なものだけを説明し、後は自主勉強によってクラヤの種類を確認し、勉強しておきなさい[[pict:note]]と言われるらしい。
というわけでクラヤというのは今でもデリケートな部分であるため、気軽に言うことはやっぱり止めたほうがいい言葉。
みなさんも十分ご注意を[[pict:exclamation]]

それからもうひとつ。
私はブログで時々クラヤという言葉を使う時に「クラヤ=職能、日本語でいうとカースト」のような書き方をしていることについて。
クラヤという言葉の意味は職業、職能という意味であって、確かに日本語訳すると「カースト」であり、そうすると日本でのイメージとして上下関係に直結しやすいけど、元々職業を表すための言葉であり上下関係を表すのがメインのものじゃない。
「スリランカ キャンディ時代の結婚について」(2013年4月23日参照)でも書いたけど、物事が行われていくのにはちゃんと理由がある。
ただ人を上下で分けるためだけにアヌラーダプラ時代からクラヤを無理に作って守らせたりはしないしできない。
人々の生活にはそれが必要便利な部分もあったからこそクラヤという言葉と種類ができたわけで、決して人々の生活を縛り付けるためだけにできた言葉ではない。
だからココでは日本でイメージするカーストという意味合いから少し離れてもらいたいのでダイレクトにシンハラ語の「クラヤ=職能、職業」という言葉を使いますね。
よろしくお願いします[[pict:clover]]
さて・・・
それで、スリランカの歴史でクラヤがはっきりと記録に残されているのは実はアヌラーダプラで有名なボーガハ(菩提樹)サンガミッター ビクシュニー(サンガミッター 比丘尼)がインドから持って来た時。
そのボーガハを持って来た時にビクシュニーと一緒に18のクラヤの人たちがスリランカに渡ってきたという。
そうそう、余談ですがサンガミッター比丘尼はスリランカに仏教と文字を伝えたミヒドゥ ハームドゥルヲ(マヒンダ僧)の妹ですよ。
*ミヒドゥ ハームドゥルヲ関係の話はこちら[[pict:right]](2013年1月19日参照
兄妹でスリランカの歴史に残る大きなお仕事してます
この時に来た18のクラヤの人たちはもちろん旅行に来たわけではなくて仕事に来ている。何をしに来たって菩提樹と一緒に来ているのだから、菩提樹をスリランカに植えるまでの式典の用意やら何やら、まだスリランカの人たちでは仏教に知識が無く用意ができない部分を指示し、教えるための技術者たちであったと考えるとイメージしやすい。
こうしてスリランカに渡ってきたクラヤ。
今回も文化としての話なのでここから注目する時代は一気にマハヌワラ(キャンディ)時代へ。
現在は現代の風習によって変化しているけど、おそらくマハヌワラ時代を取り上げて大学でも教えているのはこの時代がクラヤの機能が確立されていたことを証明する文献なども残っているから。
更にマハヌワラ時代の後、イギリスの植民地となることによってこのクラヤも一気に現代に向けてバランスが崩れていってしまう。
そういうことを考えても勉強するのに最適なのはやっぱりマハヌワラ時代のクラヤなんだと思う。
今回はそのしっかりとクラヤが機能していたマハヌワラ時代の様子について。
でもこの話、ちょっといや、ずいぶん長いから続きは次の「スリランカのクラヤ 結婚編」へ。

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