近所の遺跡ツアー?

食べまくりの田舎の家のホームステイ。
でもどこにも行かないのもナンだよね〜。
ということで近所の遺跡へ行ってみました。
まずは以前も紹介したことのあるコタウェヘラ。
(以前の紹介は2011年9月29日参照

ここはポロンナルワにパラックラマサムッドゥラって大きな湖を作ったことで有名なパラックラマバーフ1世の生まれた場所で、そのためにこの仏塔を建てようとパラックラマバーフ王が作り始めたんだけど、結局ポロンナルワでの灌漑施設の整備や湖の建設なんかで完成させられなかったという仏塔。
*地球の歩き方のポロンナルワの部分を見るとパラックラマバーフ1世の名前もあちこちでてきますよ。
仏塔とはいえこれはアヌラーダプラやお寺によくある仏塔ではなく、この土台の上にどんぶりを置いたような形の仏塔になる予定だったという。
土台の部分で工事が停まってしまったけど、もしこれが完成していたらスリランカ国内で1つしかない形の仏塔になっていたんだそうな。
とはいえこの形の仏塔は今もスリランカには1つもないので計画されて未完成で終わったとしてもやっぱりスリランカ国内1つだけの仏塔。
昔はこの仏塔は頂上まで砂に埋もれてしまっていたそうなんだけど発掘されて今の状態になったわけで、今は「登ってはいけません」と書かれているけど、数年前までは近所の子供たちも頂上にも登って遊んでいたという。
もちろん砂に埋もれていたから中の宝物も盗まれることなく発掘されて取り出され、近くの博物館で展示もされている。
この辺りは遺跡も小さいし点々としているから観光でもめったに取り上げられない場所だけど、実はいろいろあるんですよね。
お次はコタウェヘラから車で15分くらい離れた場所にあるストゥリープラ パンサラ(寺)。

かなり細い道を通っていかないといけない小さなお寺なんだけど、実はこのお寺は紀元前2世紀のころ、その後2世紀ごろの王様にも使われていた形跡があるという。
王様がお妃さまをかくまっていたとか、その女性たちが水浴びをしていた場所だったみたい。
記述としてはクルネーガラについての文献に紀元前3世紀ごろにもこの辺りのことが出てきているってお寺の説明には書いてあった。
さてさて、それじゃあ中に入ってみましょうか〜。
ということで岩に埋め込まれたように仏殿があるんだけど、普段は入り口も閉められてるからここのお坊さんにお願いして鍵を借りてみたところ・・・
鍵、大き過ぎ!!

カラフルなデザインの扉を開けると中はタイル張りのきれいな仏殿!?


と思ったら仏殿の少し先からジメッとした土の床が・・・
「今日は電気がないから真っ暗だよ。」
と聞いていたんだけど、かろうじてKさんの持っていた携帯の懐中電灯で照らしながら進んでいったところ、行き止まりかと思ったらそこの下には小さな池が。

白く見えるところの先は1.5〜2メートルくらい落ち込んでいて
きれいな水が溜まっていました。

このお寺、少し小高い場所にあるのにこの洞窟の奥にはどこかから水が来ていて、更にこの水は田んぼの水の出入りによって水位も上下するんだと以前から聞いていた。
なるほど、この話の「水」っていうのはこれのことだったのか。
じゃあ、王宮の女性が水浴びしたっていうのはこの水ってこと・・・。
このお寺、いろんな不思議のあるお寺で、まずはこの洞窟の中の水が田んぼの水位の変化によって変わること、またさっき行って来たコタウェヘラの遺跡の近くの田んぼをトラクターなんかで耕すとその振動がこのお寺にも伝わるという。
車で15分くらいも離れてるのに。
そしてもう1つ、この洞窟は水が来ていることからもどこかで外界と繋がっていることがわかるわけなんだけど、水だけではなく、人も抜けられる抜け道があったとも言われている。
王様は戦争の時にはここにお妃さまたちを閉じ込めて匿っていたわけだけど、匿うだけではなく非常事態の時には抜け道としてどこか他の土地に抜けることができた。
そんな言い伝えがある。
お寺の説明の書かれたところにはヤットーゴダに抜けていたということだったけど・・・
ココから10km弱ある場所・・・。
紀元前2世紀にそんなものを作っていたというのにもびっくり!

池から反対に仏殿を見たところ。
階段の先がさっきのきれいな仏殿です。

この辺りの土地は至る所に何か文字のようなものを彫った石があったり村全体に遺跡のかけらが散乱している感じのする場所。
田舎の家の家族が毎日水浴びをする川にも文字が書かれている石があって、その近くには今も宝物が隠されているという噂の岩もある。
水の中にほぼ沈んでいるその岩、中に入ると入口の岩が落ちて閉じ込められるという話で誰も中には入らないらしいけど、考古学の研究者も調べに来ないためそのままになっていたりもする。
田舎の家の裏山のゴムの林には崩れた石垣が残っていてそこには昔この辺りを支配していた人が住んでいた跡だとか何とか・・・でもそれだって
「もう今はわからない。」
と見向きもされていない。
村の人たちはそれがあることを知っていながらそのまま生活しているわけだけど、これで誰か外部の人が調べに来て何かがわかった時に『大発見!』って言われるわけで・・・
「シーギリヤにしてもきっとおんなじ状態だったんだろうね。」
と話をしながら近所の遺跡ツアーは終了したのでした。

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