かっぱの話

谷川俊太郎の「ことば あそび うた」という本がある。


[[pict:up]]これ。

私も大好きで、小さいころ教科書にも載っていたのを覚えているんだけどこの中のかっぱの詩、実はスリランカでもう3年位前にお願いされて日本の言葉遊びとして取り上げて紹介した事もありました。
そんなかっぱの詩について今日スリランカの友人と話をすることになりまして・・・
かっぱの詩がわからない!という場合はこの辺りをご参考にどうぞ。
念のために書いておくと、
最初の詩は河童がラッパを盗んだ話
2つ目の詩は河童が菜っぱを買って来て食べた話
です。
さて、それでこのかっぱという生き物はこんな姿しててね。。。
とネットで探したイラストや写真を見せつつ話していたところ、文学部の大学生であるスリランカの友人のコメントがこんなことになった。
「このかっぱというのはラッパを盗む事はいいことではないと知っていることが分かる。
なぜならこのかっぱは2つ目の詩で菜っぱをお金を払って買っているから。
物を買う時にはお金を払わなくてはならないことを分かっているかっぱがラッパを盗んだのはどうしてもそれが欲しかったからであり、高額ではない菜っぱを買う事はできるもののラッパを買うほどのお金がなかったため思い余ってラッパを盗んだ。
この2つの詩からかっぱには正しい事が何か分かっているということを導き出すことができる。」

いきなり文学評論みたいになってびっくりしたんだけど、日常生活の中で小さいころから聞いていた詩や物語を含めて大学で論文ちっくにまとめる作業が多くなる大学生。
「文学部の大学生がやってるのは得てして毎日こんな事だよね。」
というコメントに確かに・・・と納得w
シンハラ語って大学で何を勉強しているの?ってよく聞かれるけど、日本の有名なこの詩を取り上げて説明するとこんな感じでよくわかると思う。
スリランカにある物語、詩、絵、そういったものを見て論じるのはそこから見える登場人物のこと、その時代の人々の生活。
むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

このよくある昔話の最初の部分にしたってこの時代、おじいさんは芝刈りに行くのが仕事の一つであり、洗濯は女性が行うらしい事、そしてそれは川で行っていたことがわかる。
こんな風にサラッと読んで見落としてしまうようなところを掘り下げていくのが大学生の文学部(少なくともシンハラ語学科)の生徒がやってる事。
思わぬところでかっぱの正体がわかってびっくりしたけど、こういう話も改めてかっぱの事を考えさせられておもしろい!
と思ったのは私だけですかね?[[pict:ase2]]

タイトルとURLをコピーしました