スリランカの人たちは見栄っ張りか?

今回、家の前で脱穀をしたわけだけど、こういった時にもただ脱穀を見ているだけだとそれまで。
でもよくよく見ているといろんな事情がある田舎の人たち。
当然だけどこういった脱穀をする時には機械を持っている人にお願いをして来てもらうんだけど、その人たちだけでは足りない分は近所の人にも声をかけて手伝ってもらう。
そしてスリランカでは通常1日手伝ってもらう場合には必ずお茶の時間、ご飯の時間等休憩のお茶菓子と食事の用意は仕事をお願いした家の人が用意をする。
日本みたいにお弁当持参という事はなくて、それは当然頼んできた人が負担すること。
用意する方としても働いてくれる人たちには恥ずかしくないような、一日労働してもらうのに力が出るような食事を考えて出す。
ということで田舎の家の家族もこの日、朝から働きに来てくれる人たちへのお茶菓子や食事の用意でバタバタしてました。
機械を持っている人たちはこの時期いろんな所へ行って同じように仕事をするため、ここでご飯のおかず内容が悪かったりすると
「今日のこの家のお昼ご飯貧しかったな〜。」
なんて思われちゃったりするから。
こういうところがよく聞く
「スリランカ人は見栄っ張りだから。」
といういい方に繋がっている気がするんだけど、ソレって本当??
私は・・・
逆に
「あそこのお昼はおいしかった。」
と思ってもらえれば次にお願いした時にも喜んできてくれる事にもつながるから、必ずしも見栄ということではなく、ある意味未来に対する布石なんじゃないかと思うんですよね。
特に人間がなくてはいられない食事に関するこういうことって本当に大切で、ある意味これはスリランカなりのおもてなし。
でも、実は本家おもてなし(?)の日本人にはなかなか分からないことだったりもするんですよ。
この辺りのすれ違いはスリランカ滞在をしていると食事だけでなくていろいろな場所で本当によく見かけます。
本当に!!

日本では通じることでもスリランカでは通じない。
だってここはスリランカ。
正しいのはスリランカのやり方だから!

その時だけ良ければいいわけではなく、人に何かをする時には
「自分のできる限りの対応をしなくては」
と思うスリランカの人たちと、
「これにそんなに手間暇をかけなくちゃいけないの?」
とその時の手間とお金を天秤にかけて考える日本の人たち。
この考え方の違いは感覚的に判断しなくてはいけないことなので説明するのもホントに難しいです。
見栄というと自己の中の満足度って感じだけど、好感度を下げないための対処というと自己だけの問題ではなくて今後に対する配慮。
もちろん最初の皮算用はしてますよ。
でも日本人の場合、何かをしようとして余分にお金がかかってしまうことがわかった時点で、その補てん分をどこから持ってくるのかを考えようとする。
どこかを削ってそのお金で何とかできないか。。。
要するに全体的にかかるお金は予算内で収めようとしますよね。
スリランカの場合は万が一事をやってみて思っていた以上の手間やお金がかかってしまったとしても他の部分から削ることなく、できる限りの事をするし予算を増やしちゃいます。
この現状を日本サイドから見ると、予算以上のお金がかかったのに増えた分も仕方がないと支払おうとしているスリランカの人たち。
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スリランカ人って見栄っ張りだな〜。
という考え方に繋がっているのかもしれませんね。
でも、どこかから補てんして予算内で終わらせようとするという事はどこかで無理をしなくてはいけないということになる。
そしてそれは感のいいスリランカの人たちにはすぐにわかる。
これがやりたかったから、こっちはお金をかけないで簡単に済ませようとしたんだな。
そしてそれが後日の噂、口コミとなりその時には大した問題ではなくても未来にどんな影響が出るか分からない。
スリランカの噂、口コミって日本のようにインターネットで広がるわけではないんですが、その威力って本当にすごいんですよ。
スリランカ滞在が長くなるにつれて、スリランカの人たちの気持ちと事情を察することが多くなり、だからこそ何かあった時には自分もスリランカの人たちと同じように過不足ない配慮をしてあげなくちゃいけないんだな〜と思うようになりました。
それがスリランカの風習とやり方でもあるから。
そしてたぶん一番トラブルなくいられる方法だから。

それは見栄ではなく、未来への布石なんじゃないかな。
日本とスリランカのこの考え方の違いはホントになかなか理解するのは難しいけど、日本とはちょっと違うスリランカの事情と習慣。
スリランカの人たちは見栄っ張りだから!
っていう人にも時々合うけど、時にはその奥にあるスリランカらしい考え方っていうのもあるっていうことを知ってもらえたらな〜って思うんですよね。

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