食事のマナーと命をいただくこと

スリランカで生活するようになって、今でもやりそうになってグッと我慢することがありまして・・・。
それは
「食事中は動物や虫をリアルに思い出させないこと。」
家によっていろいろとあると思うんですが、動物や虫が身の回りにたくさんいるスリランカ。
食事中に
「見て!ヤモリが!!」とか
「今日、道を歩いていたら蛇がね・・・」とか
グロテスクな動物、昆虫の話はしません。
それから、肉、魚類を食べている時に食べている生き物の生きている姿を連想するような話も避けます。

それは当たり前でしょう?って思うかもしれないけど、
不意にゴキブリが足元を走ったり、ヤモリが自分のすぐ後ろの壁にいたりした時にも、少なくとも食事が終わるまでは何事もなかったように過ごし、食事が終わってからもまだいるようなら追い払ったりして出てってもらいます。
この辺が食事中でも
「キャ〜!!」[[pict:dokuro]]
ってなる日本とは違うな〜って思います。
日本でもゴールデンタイムの時間は特に食事している人に配慮して不快になるようなCMを
流さないという話も聞いたことがあるんですけど、それに似てるかもですね。
日本だとレストランなんかで今食べているお肉はココで飼育された、こんな生まれですよ〜って見せたりしてるけど、スリランカの人たちにとってはそういうことを食事の間に知らせられるなんて!!
って思うかもですね。
面白いな〜と思うのは、
そういうことを伝えられて自分の食べようとしている食べ物に更に興味を持つことができる日本と、
そんなこと言われたら食べたくなくなるでしょう!?と思うスリランカ
の考え方の差。
それは自分の食べている生き物のことを考えないようにして命をいただくということから逃げてるんじゃないの?
って最初のころは思ってたんですけどね。
でも、ローカル仕様でスリランカ料理をするようになって何となく、そうする理由も分かる気がする・・・と思うようになりました。
特に鶏肉を料理する時に、日本みたいにパーツごとに買って来ない私の場合、鶏一羽をそのまま買って来て料理します。
そうすると嫌でもそこで鶏一羽を料理したって気分になるんですよね。
カレーを作って食べてもお皿に盛りつけた時に
「これ、尻尾だ。」
「あ、器官が見えてた首だ。」
「買ってきた時にはすでに折れてた足。」

そんな風に食べる時にいちいち自分が解体した部分であることが分かるわけです。
日本だときれいにパッキングされて逆にこれはどの部位ですよと絵で解説されて「あ〜なるほど」[[pict:light]]って理解するところだけど、スリランカだともうそれが説明されなくたって各自頭の中に入っちゃってる。
だからこそそういうことを食事中に言って、解体する途中のことを思い出させないで!
ということなんじゃないかと。
私も食事中に尻尾、首、内臓の辺り、自分が解体しているからこそ分かる部分には手が出しにくいです。
そんなわけで、料理した後に自分で分かるような部位はできるだけ考えなくてもおいしく食べられるようなブリヤーニとかにして混ぜ込んで食べちゃうんですけどね。
日本は食べるところから遡るいただく命のこと。
スリランカではいただく命から続く食べるもの。

逆のルートで理解しているのかもしれないですね。

タイトルとURLをコピーしました