明日は内戦終結記念日

明日は内戦終結記念日なんですね。
今年はマータラで終戦記念式典が行われるようです。
それを聞きつつ今年もまた終戦時のことを思い出しました。
*  *  *
2009年5月。
私はキャンディに滞在していたのですが、内戦が終わりに近づくにつれて、キャンディの町には北部の戦地から救急車が何台も走って来るようになってました。
戦地で重傷を負った軍人さん達にしっかりした治療をするためにキャンディまで運んで来ていたそうですが、救急車の数は日々多くなり、内戦終了直前には一日に10台以上が走って来るようになってました。
私の知り合いも
「陸軍の友人が頭を撃たれて後頭部がえぐれてしまったため、植物状態にあるけれど数日しか持たないだろう」
と病院にお見舞いに行っていたりもしてました。
そして終戦日当日、私はキャンディの街中にいました。
携帯電話に緊急ニュースが入ってきたんですが、あのころはまだ書き言葉も苦手だったし、スリランカの情勢にも疎かったのでアルファベットのシンハラ語で書かれたニュースが読みにくくてあまり気にもしないでいつものようにキャンディの街中を歩いてました。
ちょうど仏歯寺の近くの小さな抜け道を抜けて大通りに出ようとしたところで
「危ないから下がって!!」
と近くにいた人に声をかけられて足を止めた直後にその大通りの道路に並べられた爆竹が鳴りだしました。
それに続いて周りでも一気に爆竹が鳴りだして、状況が分からずに周りを見たところ、近くにいた人が
「プラバーカランが死んだ!」
「プラバーカラン?」
「戦争が終わったんだよ!」

とそんな会話でやっと内戦が終わったことを知りました。
その時にはLTTEのトップがプラバーカランであることも知らなかったんですよね。
それでやっとさっきの携帯電話の速報が内戦の終わりを知らせるメールであると分かって見たところ、
「本日午後1時のニュースにてプラバーカランの遺体を公開。見逃すな!」
そんな内容でした。
その日海で亡くなったプラバーカランを軍人の人たちが浜辺に引き上げてくるところ、モザイクなしで映された遺体の様子が何度も映像で流れ、DNA鑑定が行われることも伝えられました。
私は生まれて初めてこういった遺体を見ることに衝撃も受けてました。
内戦が終わったことで各家がスリランカの旗を掲揚し、道路は同じく国旗を掲揚した車やスリーウィラーが何台も連なって大声で「バンザイ!バンザイ!」と叫びながら走りまわってました。
この日の夜には大統領が明日から2日間(たしか)、急遽祝日とすることを発表し、その後2日間は仕事がお休みになったこともあって国中が大変な騒ぎになりました。
そして私は大喜びで走りまわる人たちを見ながらいろんなことを考えてました。
キャンディではこれだけのお祭り騒ぎになっているけど、実際戦争が終わった戦地にいる人たちはどうしてるんだろう?
「戦争が終わる」という言葉には2つの状態があって、これが「勝利側の戦争が終わった状態」であり、日本が第2次世界大戦で味わったのは「敗戦側の戦争が終わった状態」だったんだな〜。
ということは日本が戦争で負けた時、勝利国であった例えばアメリカでは同じような状態にあったということなのかな??
スリランカの内戦の終わりに偶然にも立ち会うことによって、日本で見てきた玉音放送を聞いて泣き崩れる人、悲しみにくれる人たちの終戦日の様子の映像や写真は「敗戦国」であるからこそのものであり、「勝利国」の事は考えたこともなかったけど、こういう状態にあったのかもしれない。
何となくそんなことを漠然と知って日本でも戦争を知らない世代と言われつつも、日本にいたら分からなかっただろう戦争のことをスリランカの内戦終結をきっかけに私なりに考えさせられた数日間でした。
*  *  *
そんなこんなで明日でもう終結から6年。
2〜3年前までは内戦時に爆破されたバスも修理されてまだ走っていたりもしたんですが、最近はどうなのかな?
その後も戦争の話は新聞なんかでも載っていたりするとチェックしたり、当時軍隊にいた人たちの話も聞いたりもするわけですが、そういうことも含めてあの時私が見た内戦終了時のことはきっとこれからも毎年終戦日が来るたびに思い出すし、忘れずにいたいな〜と思います。
私の体験は実際のスリランカの内戦からは少し遠かったけれど、ある1つの内戦体験としてこんな話もあったと知ってもらえるとうれしいなと思います。
明日の内戦終結記念式典は新しい大統領に変わってから初めての式典。
どんなふうに行われるのかもちょっと興味ありです。

明日は内戦終結記念日

明日は内戦終結記念日なんですね。
今年はマータラで終戦記念式典が行われるようです。
それを聞きつつ今年もまた終戦時のことを思い出しました。
*  *  *
2009年5月。
私はキャンディに滞在していたのですが、内戦が終わりに近づくにつれて、キャンディの町には北部の戦地から救急車が何台も走って来るようになってました。
戦地で重傷を負った軍人さん達にしっかりした治療をするためにキャンディまで運んで来ていたそうですが、救急車の数は日々多くなり、内戦終了直前には一日に10台以上が走って来るようになってました。
私の知り合いも
「陸軍の友人が頭を撃たれて後頭部がえぐれてしまったため、植物状態にあるけれど数日しか持たないだろう」
と病院にお見舞いに行っていたりもしてました。
そして終戦日当日、私はキャンディの街中にいました。
携帯電話に緊急ニュースが入ってきたんですが、あのころはまだ書き言葉も苦手だったし、スリランカの情勢にも疎かったのでアルファベットのシンハラ語で書かれたニュースが読みにくくてあまり気にもしないでいつものようにキャンディの街中を歩いてました。
ちょうど仏歯寺の近くの小さな抜け道を抜けて大通りに出ようとしたところで
「危ないから下がって!!」
と近くにいた人に声をかけられて足を止めた直後にその大通りの道路に並べられた爆竹が鳴りだしました。
それに続いて周りでも一気に爆竹が鳴りだして、状況が分からずに周りを見たところ、近くにいた人が
「プラバーカランが死んだ!」
「プラバーカラン?」
「戦争が終わったんだよ!」

とそんな会話でやっと内戦が終わったことを知りました。
その時にはLTTEのトップがプラバーカランであることも知らなかったんですよね。
それでやっとさっきの携帯電話の速報が内戦の終わりを知らせるメールであると分かって見たところ、
「本日午後1時のニュースにてプラバーカランの遺体を公開。見逃すな!」
そんな内容でした。
その日海で亡くなったプラバーカランを軍人の人たちが浜辺に引き上げてくるところ、モザイクなしで映された遺体の様子が何度も映像で流れ、DNA鑑定が行われることも伝えられました。
私は生まれて初めてこういった遺体を見ることに衝撃も受けてました。
内戦が終わったことで各家がスリランカの旗を掲揚し、道路は同じく国旗を掲揚した車やスリーウィラーが何台も連なって大声で「バンザイ!バンザイ!」と叫びながら走りまわってました。
この日の夜には大統領が明日から2日間(たしか)、急遽祝日とすることを発表し、その後2日間は仕事がお休みになったこともあって国中が大変な騒ぎになりました。
そして私は大喜びで走りまわる人たちを見ながらいろんなことを考えてました。
キャンディではこれだけのお祭り騒ぎになっているけど、実際戦争が終わった戦地にいる人たちはどうしてるんだろう?
「戦争が終わる」という言葉には2つの状態があって、これが「勝利側の戦争が終わった状態」であり、日本が第2次世界大戦で味わったのは「敗戦側の戦争が終わった状態」だったんだな〜。
ということは日本が戦争で負けた時、勝利国であった例えばアメリカでは同じような状態にあったということなのかな??
スリランカの内戦の終わりに偶然にも立ち会うことによって、日本で見てきた玉音放送を聞いて泣き崩れる人、悲しみにくれる人たちの終戦日の様子の映像や写真は「敗戦国」であるからこそのものであり、「勝利国」の事は考えたこともなかったけど、こういう状態にあったのかもしれない。
何となくそんなことを漠然と知って日本でも戦争を知らない世代と言われつつも、日本にいたら分からなかっただろう戦争のことをスリランカの内戦終結をきっかけに私なりに考えさせられた数日間でした。
*  *  *
そんなこんなで明日でもう終結から6年。
2〜3年前までは内戦時に爆破されたバスも修理されてまだ走っていたりもしたんですが、最近はどうなのかな?
その後も戦争の話は新聞なんかでも載っていたりするとチェックしたり、当時軍隊にいた人たちの話も聞いたりもするわけですが、そういうことも含めてあの時私が見た内戦終了時のことはきっとこれからも毎年終戦日が来るたびに思い出すし、忘れずにいたいな〜と思います。
私の体験は実際のスリランカの内戦からは少し遠かったけれど、ある1つの内戦体験としてこんな話もあったと知ってもらえるとうれしいなと思います。
明日の内戦終結記念式典は新しい大統領に変わってから初めての式典。
どんなふうに行われるのかもちょっと興味ありです。

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