息子の言葉〜形容詞の活用から思うこと〜

シンハラ語

最近だんだんといろんな言葉を話すようになってきている息子。
その言葉を聞いて本当にいろんなことを考えます。

最近の傾向として「形容詞+かった」の話し方。
ほしい かった(ほしかった)
あかい かった(あかかった)
ねむい かった(ねむかった)

いろんな形容詞を覚えたものの、活用がまだわかっていなくて「かった」という言葉をつけることでいろんなことを伝えようとしてます。

こういう言葉を息子から言われるたびにシンハラ語を学ぼうとする人たちからいつも聞かれる質問を思い出す。
「シンハラ語の活用がわからない」
「シンハラ語の活用が難しくて覚えられない」

そういう時に私がいつも答えるのは、
「あなたが話をしている相手がスリランカ人でシンハラ語を知っている人であれば、間違っていても大丈夫。あなたのわかる言葉でわかるものを使って伝えれば相手も頭を働かせ、イメージをして聞き取ってくれるから。まずはそこから初めて、少しずつその時の活用を覚えて頭に入れるのではなく、その時に相手がどう言っているのか、言い直すのかを聞いて場数を踏んでいけばそのうちに自然と正しい活用で話ができるようになると思いますよ。」

私は頭で考える言葉の覚え方よりも、肌で感じて身につけていく言葉の習得の方が自然に言葉が出るようになるし、その後忘れてもすぐに勘を取り戻すことができると思うんですよね。
シンハラ語を学ぼうと思って私に聞いてくる人たちは勿論だけど大人で、だからこそシンハラ語を学び、間違えないように話がしたいと望む。
でも、、、息子が間違えることを何十回と繰り返しながら少しずつ正しい言葉を覚えていく様子を見ていると、私たちが小さい時に日本語を覚えた方法が正にこれ。
そしてこの方法は覚えなくては!とか間違えないようにしなきゃ!と気負うことなく伝えたい気持ちが溢れ出て、口に出てきて伝えようとすることから始まると思うんですよ。

だから、シンハラ語を学びたい、覚えたい、話したい!!と思うのであれば、とにかく間違ってもいいから、相手に伝えようと思うこと、挑戦して話してみることが大切じゃないのかな?って息子を見ながら日々思います。

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