8月15日

8月15日、お昼の12時にサイレンの音が聞こえた[[EE:SE317]]
終戦記念日で黙祷の時間を知らせるサイレンだった。
それと同時に近所のお寺でも鐘を数回突いて同じく黙祷の時間を告げ、家の前の桜の木ではその音に負けないように一生懸命セミが鳴いていた。
戦争が終わったとき、ちょうどこんな暑さの中で同じようにセミの声が響いていたんだろうな・・・。
そう思いながら戦争で亡くなった方たち、がんばった方たちに思いを馳せた。
そしてまたスリランカでの出来事を思い出した[[pict:piyo]][[pict:light]]
スリランカと第2次世界大戦といえば有名なのは当時のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相が、サンフランシスコ講和会議で第2次世界大戦の賠償請求権を放棄すると演説した話。
もちろんスリランカではそのことを知っているかと聞かれることが時々あった。
でも私が思い出したのはそうではなくてある日、あるスリランカの友人から質問された第2次世界大戦について。
「日本はどうしてそんな間違った戦争をしてしまったの?Keikoはそれについて間違っていると思っているのか、それともどう思っているの??
友人の質問の仕方は日本は間違った戦争をしたと考えた上でのような聞き方だった。
私は戦争が間違っていたとか間違っていなかったというようには考えていなかったけど、それを聞いて
そうか他の国の人から見たら『間違った』と捉えることもできるのか。
そう思った。[[pict:rain]]
日本では愛国心について今はいろいろな考えがあって一つに統一することはできないけど、スリランカは日本よりも愛国心を大切にする気持ちは強いと思う。
たまたま同じスリランカの友人に戦争中の「赤紙」について話した。
その紙が来ると兵隊として戦争に行かなくてはいけなかった当時の日本の状況を話したところ、その友人は
「もし今、自分の家にその紙が来たとしたら喜んで国のために戦争に行く!そんな嬉しいことないじゃないか。それで家族が安心して暮らせるようになるんだから戦争に行くよ。」
そう言った。
もちろん実際その状況になったら友人が本当のところどうするかはわからないけど、その言葉を聴いた瞬間、スリランカなのに急に話でしか聞いたことのなかった昭和初めにタイムスリップしたような変な感覚になった。
もちろんこれは私の友人の1人がたまたま言った言葉でスリランカの人たちがみんな日本は間違った戦争をしたとか、そう思っているとは思わない。
でも国に対する思いで温度差を感じたことが多々あったのも事実。
よくスリランカは「昔の日本みたい♪」と言われて、実際そこに惹かれてスリランカ好きになる人はたくさんいる。
私も生活や周りの環境でそう思って好きになった部分もたくさんある。
でもその中には国に対する考えも「昔の日本みたい」なところがある。
65年前終戦を迎えた第2次世界大戦で日本は「敗戦」という体験をし、スリランカは逆にその体験をしなかったことが日本との違いになっているのではと思うことがしばしばあった。
逆に日本は「植民地」という体験をしていなくて、スリランカは長い間「植民地」としての歴史を体験しているから、そこでも考え方や文化が変わってくる部分もあるんだろうと思う。
どっちが良かった、どっちが悪かったという問題ではなく、お互いにお互いのことをよく理解し合い、尊敬し合えるようになれればいいな[[EE:SE32F]]
セミの声を聞きながらそう思った。

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