生きるものとして

夕方、田舎の家の戸口から見える遠くの道路を2頭のハラカ(牛)を引いて歩いていく2人の人を見た。
アッカが
「Keiko見て、あのハラカはね、マスカデへ連れて行かれる途中なのよ。」
と話してくれた。
マス=肉 カデ=お店でお肉屋さんへ連れて行かれる2頭のハラカはまだこの家にいるハラカよりもずっと小さくて若いみたいだった。
「ああして連れて行かれたハラカは明日の朝までご飯を与えられることもなく、その後殺されてお店で売られるの。かわいそうよね。」
私には牛をただ引いていく人にしか見えなかったけどアッカたちは時々そうして連れて行くのを見ているらしい。
「見ていて、もう少しするとうちのハラカが鳴きだすから。動物ってそういうことがわかるんだろうね。
あのハラカを連れている人たちも他の人に見られるのは好まないからたぶんあそこから人目につかない林の道を通っていくと思うけど、ああいったハラカがウチの近くを通る時にはハラカが騒ぐのよ。
ウチもハラカがいる家でしょう。家の前を通ることがあると引かれていくハラカが訴えるように何度も鳴きながら引かれていくのよ。」

そういった直後、この家の一番古株のグループのブブーが鳴くのが聞こえた。[[pict:loudspeaker]]
「ほら、ブブーが鳴いた。そういうのって本当にすぐにわかるのね。かわいそうに。」
この家は十数年前にメスのハラカを1頭連れてきてからどんどん増えてここ2年ほどで4〜5頭も生まれている。
この家で面倒が見られるハラカは多くても10頭。でもオス同士で喧嘩をしてしまったりするし、ご飯となる雑草の成長が間に合わないこと、毎日2〜3度は暑すぎない日陰に場所を移動してやらなくてはいけないことなどから10頭いるともうほかのことができなくなってしまう。
そういった意味でハラカの面倒を見てくれる人を探して貸し出しているけど、それでも絶対にお肉屋さんには連れて行かない。
どんなことがあっても。

面倒を見てくれる人とも取り交わす約束は子牛を産ませてミルクをとってもいいし、生まれた子牛は預けた家の牛として何をしてもらってもかまわないけど最初に預けた牛はこの家の牛として絶対にいつかは家に戻してもらうこと。
お肉屋さんには連れて行かれないように。
ハラカであってもその人生をまっとうさせること。死んでしまったとしても必ず土に返してあげること。
そうして貸し出されていった牛は牛乳を取ることによって家計を助けてくれたり、子供たちが学校へ行くためのカラッテ(牛車)を引いていたりもするらしい。
中には預けられた先の人たちにとても可愛がられたために、また借りに来てくれたりすると牛のほうが喜んで付いていったりすることもあるという。
この家も以前はハラカマスを食べていたそうだけど、この家でハラカを飼い始めてからは食べるのをやめたという。
自分たちと生活を共にしている家族のような動物の目の前でその肉を食べるということがかわいそうに思えるようになってやめたという。
それは誰かから教えられることではなくて自分たちで考え、感じること。
人間だから、動物だからではなく、人間も動物も同じ生きるものとして相手の気持ちも汲んであげること。
ま、だからといってお肉は何も食べない家かというとかなり肉食な家なので、
鶏肉、魚は頻繁に食べてるんですけどね[[pict:piyo]][[pict:ase2]]
でも今日のハラカを見て私も少しの間だけハラカ断ちしよう。
そんな風に思った。

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