お母さんとは

昨日はポソンポーヤ(6月の満月の日)でした。
とはいえ私は引っ越しも大詰め、ついでに日本一時帰国も控えていてそれどころではなく、まったく家から出ない一日になっちゃいました。
そんな荷物の片づけをしながらテレビを見ていたら今日は満月の日ということで、毎月のお寺からの中継をやってました。
そんな中のお坊さんの説法でなるほどな〜っていう話が。
それは
「お母さんはお母さんでありなさい」
という話。
「あるところにお母さんと娘がいました。その親子のところにはある石けんがあり、2人は毎日川で水浴びをする時にその石けんを使ってからだを洗うと、親子ではなく、姉と娘に見える不思議な石けんでした。」
という話で、きれいになる事はみんなが望むことだけれど、果たしてそれは本当に良いことなのか?
答えはNo
お母さんというのはお母さんになっているのであり、お姉さんに見える必要はない。
お姉さんに見えるということは若々しい女性に見えるようになるということで、それを追求した先にあるのは女性を取り巻く様々な問題。
だからお母さんは必要以上に若くいようとしたり、きれいでいようとすることはない。
なぜなら、お母さんは母であり、姉ではなく、子供はそんな親を見て育つから。
そういう若くきれいなお母さんを見ることにより、その子供も若くきれいでいようとし、そうすることによってその家の問題が多くなってしまうから。
だからこそ結婚し、お母さんとなったその自分を素直に受け入れ、子供に母とは何かを見せなさい。
それが子供がより健やかに育つことに繋がります。
簡単に要約して書くとそんな話でした。
スリランカのお寺の話では、自分の行動を正しなさい。行動を正すことによって子供も健やかに育ちます。
そんな話が多い気がします。
ところで、この話をよく考えてみると確かに私がスリランカのお母さんたちに魅力を感じるのはお母さんがお母さんとしてしっかりと生きていること。
背伸びをせず、ありのままの等身大のお母さんで。
よく
「スリランカのアンマー大好き!」
って聞きますが、(もちろん私もそうなんですけど)その魅力の1つは素朴に、毎日をムリなく生きている感じがするからなんじゃないですかね??
そのお母さんの姿勢は確かに自分が母であることを認識し、母として家を守って生きているから。
確かにスリランカのお母さんたちは必要以上におしゃれもしないし、若くいようと努力したりはしない。
だからこそ私たちが魅力を感じているのだとすれば、このお寺の話もうなずけることかもしれない。
って思いました。
ただし。
だからこそ違う日本とスリランカ。
日本では
「きれいなお母さんでいよう!出産後も体系を維持しよう」
と多くの人が努力をしていると思うんですけど、スリランカではそれがあまりないということは、もしかしたらすごく簡単に言ったら
=美容系の商売はなかなか苦しい

ってことになるのかもしれないですね。
日本であればきれいでいたいと望むのは『女性』。
ということは国の半分が女性なので、セールスをかけられるのは全国の女性。
でもスリランカではきれいでいたいと望むのは『若い女性』
結婚し、母となるまでは通常1年弱と考えるとそこからは母として生きる女性となり、等身大にありのままに生きようとする。
ということは美容系、オシャレ系でセールスをかけられるのは
『高校卒業辺りから結婚するまでの間の女性』
これだけで商売の売り上げもかなり違ってきそうです。
とはいえ最近のコロンボでは子供が生まれてもお母さんに子供を預けて旦那さんとデート♪って家族も比較的あるので日本とスリランカで考えれば違いは大きいですが、日本とコロンボで考えればまだましなのかも。
とはいえ日本の女性人口とスリランカの女性人口は全然違うのでそういった意味で結局商売をするのが苦しいのには変わりがないですが。
って私はそういう美容系の商売をしようなんて思ってませんよ。
シンハラ語で精一杯なんで。
でも何でもそうですけど、どこかで何かをしようと思うなら、対象となる人々の考え方がどのようになっているのかを知り、それを踏まえた上で戦略を立てないと「やってみたい!」「きっといける!」という思いだけでは難しいんだろうな〜。
(いや、商売って普通にそういうものですね。)
とお寺の道徳の話からスリランカの商売までぼんやり考えてみたのでした。

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