シンハラ文字の歴史

試験が近くなるのは困るけど、どんどんおもしろくなる大学院の授業。
今日はシンハラ文字の歴史のはじまりについての授業があった。
[[pict:q]]:スリランカにおいての古代の文字が発生したといえるのはいつのことなのか、
それはどういったことによってだったのか・・・。

日本語にだって日本の文字の歴史があるはずだけど、正直私たちは学校でそういうことは教えられた記憶があまりない。
国の歴史は教えられるけど、今日の授業を聞いて日本に文字最初に持ち込んだ人は誰だったんだろう?そんな風に思った。
前の話に戻るけど、スリランカで最初の文字を伝えるのに最も関わっているのは今のところ紀元前3世紀にスリランカに仏教を伝えたということで有名なミヒドゥ ハームドゥルヲ(マヒンダ 僧)だったとされている。
その前にスリランカの最初の王様とされているヴィジャヤというインド北部の王子が紀元前5世紀ごろ700人の人たちと一緒にスリランカに来てクウェーニというヤクシャ族の女の人と出会っていたわけだけど、その時に来た700人の人たちについての出身、職業などの記録は残っていないという。
だからシンハラ語の元になる正しい文字と文法を伝えるほどの知識人がいたかもわからない。
そのため文字の伝来がそのときであると言い切ることはできないことになる。
ただ、ヴィジャヤ王はスリランカに来たあと、クウェーニと一男一女の子供を儲けるもののクウェーニを正式な王妃にすることはできないとインドの祖国へお妃となる女性を送って欲しいと手紙を送る。[[pict:mail2]]
そうしてお妃を国から呼び寄せている。[[EE:SE51C]]
また、その後ヴィジャヤが年を取ってから王位を継ぐものがいないということで再度祖国へ手紙を送り[[pict:mail2]]、スリランカの王となる人[[pict:okan]]を呼び寄せている。
この2回の手紙のやり取りから意思の疎通を取ることのできる文字は使われていたと推測することができるという。
ただ、どのような文字であったのかがわかっていない。
そしてその後紀元前3世紀にスリランカに仏教を伝えに来たミヒドゥハームドゥルヲ。
どうしてミヒドゥハームドゥルヲが証拠になるのかというと、インドでも今のスリランカでもそうだけど、お坊さんというのはしっかりと言語についても教育を受けている。
だからこそ文字もよく知り、文章の書き方もよく知っている。
要するに言語のことをよく知っていることは間違いない人であったと考えられる人であったから。
ミヒドゥハームドゥルヲはミヒンタレーで鹿狩りをしに来たデーワーナンピヤティッサ王と会い、仏教を伝え、これがスリランカでの仏教伝来となる。
でもその時に同時にスリランカにとってとても重要な文字を伝えていたことになる。
そしてそれが今のシンハラ語歴史の始まりへとつながっていく。
その時、またはその後ミヒドゥハームドゥルヲとティッサ王が思い違いや聞き違いをして問題になった話がないことを考えるとそのころのスリランカとインドの言語は通訳などがなくても意思の疎通が取れる程度に似た言葉を使っていたのではないかということになる。
ということは同時にそこからスリランカとインドとの関わりの深さも推測することができることになる。
ミヒドゥハームドゥルヲが文字を持ち込んだと考えることは妥当だと考えられているけど、でもだからといって文字に関してまったく疑問がないかと言えば、実はそれだけでは最初のころのシンハラ文字には説明できない部分もある。
というのもミヒドゥハームドゥルヲが文字を持ち込んだと仮定するとそのときにインドで書かれていた文字スリランカで見つかっている文字そっくり同じにならなくてはいけない。
でもその後ミヒドゥハームドゥルヲが持ってきた文字のうち8文字だけがインドの文字とは少し変わった形で書かれることになった。
それが問題。
[[pict:q]]:どうして持ち込まれた文字を書かなかったのか。

答えは・・・そのころにスリランカでも使われていた文字があったからではないかと考えられている。
だからこそ今まで使い慣れた書き方で書いたのではないかと。
あ、この話、おもしろくない!?[[pict:pika]][[pict:piyo]]
あれ?おもしろいのはKeikoだけですか?[[pict:rain]]
・・・すみません・・・[[EE:AEAD9]][[pict:ase2]]

でもこの話を聞いてミヒドゥハームドゥルヲに今まで以上に興味が出た。
次にミヒンタレーに行く機会があったらあの白いダーガバ(仏塔)の隣にひっそりとあるミヒドゥハームドゥルヲのお墓といわれているダーガバに
「シンハラ語の最初の文字を持ってきてくれてありがとうございました。」
そう手を合わせてきたいな。
[[EE:AEAD2]]

タイトルとURLをコピーしました