シンハラ語と外国語と

シンハラ語の大学院授業ももう残り今日を合わせて3回。
10人ほどいる先生たちの授業もどんどんアワサーナダワセー(最終日)だからねと終わっていく。
自分の勉強は全然追いつかないのに・・・[[pict:ase2]]
そんな中、今日の授業ではシンハラ語の歴史についての簡単なまとめ。
シンハラ語というのはパーリ語、サンスクリット語、タミル語とは切っても切れない縁があり、それらの言葉によって発達した言語。
その発達はポロンナルワ後のダンバデニヤ時代で急成長[[EE:AEB2D]]する。
たくさんのインドの話などがシンハラ語に書き下ろされ、翻訳され、創作される。
シンハラ語の歴史の中ではこの辺りのものが一番重要[[pict:kirakira]]になってくる。
でもその後、ポルトギーシ(ポルトガル)、ランデーシ(オランダ)の上陸、イングリーシ(イギリス)による植民地支配によってシンハラ語は衰退をする。[[EE:AEB2E]]
中でもイングリーシの植民地支配によって国の中の言語を英語とされたスリランカで、シンハラ語は急激な衰退を余儀なくされる。[[EE:AEB2E]][[EE:AEB2E]]
このとき、影響が特に著しかったのは話し言葉だったという。
書き言葉というのは何か環境の変化があったとしてもゆっくりゆっくり変化をしていくため大きな衰退はしなかったものの、話し言葉というのは日常人々が使っているもの。
誰かが使い始めればあっという間にそれが広がっていく。
日本でいうなら年末の流行語大賞の選考に入る言葉なんかは一気に広まって使われるようになるいい例かも。
その後独立を経てまたシンハラ語を見直すようになり今に至るものの、今日常で使われている言葉の中にもポルトギーシ、ランデーシ、イングリーシの言葉は多く残っている。
もちろんその前にシンハラ語を発達させたパーリ語、サンスクリット語、タミル語につながる言葉もいっぱいだけど。
ちなみにポルトギーシ、ランデーシのときには問題にならなかったけど、イングリーシの植民地になって初めて「ファ」の表記ができない問題が発生したためシンハラ語にファの文字が作られることになる。
でも作られるまでの期間は表記の方法がなかったため

(この場合は名前で「W.F.グナワルダナ」ですね)
というようにシンハラ語の間に英語のfを入れて書いていたみたい。
そして現在。
テレビのコマーシャルでも
「ケリンマ Digree エカタ joint ウナー(そのまま 学位取得に つながりました。)」
なんて英語とシンハラ語が一緒に使われている。
しっかり単語として使われているのは「ケリンマ(直接)」だけじゃん??
ちなみにシンハラ語で全部言うと
「ケリンマ ウパーディ エカタ サンバンダ ウナー」
でもこれが今のシンハラ語。
先生は「今シンハラ語ができることは踏ん張ることだけ」と言っていた。
今のスリランカでいくら昔のシンハラ語を復活させようと言ってもそれには無理がある。
大学や学校のシステム、洋服、生活のほぼすべてに西洋からの影響がある。
「スリランカ人として誇りを持って大学卒業!」と言っても卒業写真を撮るときに男子生徒が着るのはスーツであり、卒業写真ではヨーロッパで着られるフロッグを着て四角いつばに房の付いた帽子をかぶる。
昔の純粋なシンハラ語を使おうとしても逆に今の人たちにはすでに理解できなくなっている言葉もある。
言語は生きている。
だから時代によって使い方もどんどん変わる。
過去には戻れない以上、今生きる自分達がシンハラ語に対してできるのは今ある言葉を大切に残していくことだけ。
「ここで踏ん張るしかないんだよ。」
先生のその言葉を聞いて、日本に生まれた私だけどシンハラ語がこれからもがんばっていく何かの手伝いができたらいいな。
そう思った。

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