ブッサラナ

今日はポロンナルワ時代に書かれた『ブッサラナ(buthsarana)』について。
これはブッダの人生の話とジャータカ物語を取り上げて書かれたものなんだけど、書いたのはウィッディャーチャックラワルティという人。
スリランカの文学というのはミヒドゥハームドゥルヲ(マヒンダ僧)がスリランカに渡って文字と仏教を伝えたところから仏教と共に発展する。
*先日紹介したS.マヒンダ僧ではなく、ミヒンタレーでデーワーナンピヤティッサ王に会った、スリランカに仏教と文字を持ってきたミヒドゥハームドゥルヲです。(2013年1月19日参照
それは現代文学の時代に入ってからW.Aシルバーという人が宗教色のないフィクションで余暇を楽しむ小説を書くまでずっと仏教色のある本ばかり書かれていたというほど。
そんなスリランカの国の中では古典文学時代はもちろん印刷技術もないから、1冊の本を作るとみんなで集まり、一人の人が読み、他の人が聞くことによって内容を理解し、それをまた他の人に話しをすることによって口づてで伝えていく。
ちょうど日本の平家物語が平曲として語られていたのと似てるかも。
そういう状態で広まると考えると・・・
[[pict:q]]広まりやすい場所と状況は?
[[pict:a]]みんなで集まることの多かったお寺が一番!
だからこそ仏教の話が多く書かれていたともいえる。
[[pict:q]]そんな状態で広まる場合に一番大切なことは何か。
[[pict:a]]聞く人が理解しやすい言葉を使うこと。
聞いていて楽しくなるような言葉の比喩表現を使い、わかりにくい長文の後には理解しやすい短文を、聞いている人の心に響くようにすること。

そういったことをよく考えて作られているブッサラナ。
この時代にはとても斬新な挑戦と、ウィッディャーチャックラワルティの仏教を愛する心が溢れている様子をたくさん読み取ることができる本。
もちろんシンハラ語の歴史の中のポロンナルワ時代に書かれたものだから、今の言葉とはずいぶん変わってしまっていて今この本を読んでも日本の古典文学を読んでいるようにすぐには理解できない文章になってしまっているけど、当時の人たちにとってはすばらしい本だったのだと思う。
中にある比喩についても例をあげると・・・

  “aetha dhulin wesi giya aethrajaye,
   metha sawanak ghana buduresin sedi giya
   budurajanoye”
あっちには砂埃にまみれた象の王様だ
こっちには後光の光り輝くブッダではないか。

これはナーラーギリという仏教の話の中に出てくる象の話の中でブッダを殺そうとやってくるところ。この時点では仏教に帰依していない状態だったため、そういった意味でもブッダの光り輝く状態と象の置かれている心がすさんだ様子を上手に対比して表している。
この努力はこの次に更にダンバデニヤ時代に入ってサッダルマーラトゥナーワリヤ更なる進化をするんだけど、
それはまた次の機会に・・・。
お楽しみに!

(ってこんなマニアックな話、楽しみにしようがない気が・・・w)

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