里山を愛したバスの運転手さんの話。

スリランカから日本帰国して、今いる里山に住んで新しく出会った人たちがいっぱい。

夫の会社が近いこともあって、会社に荷物を持って行ったり受け取りに行くトラックの運転手さんも名前は知らなくても顔馴染みになっていて、通りかかると窓を開けて「おはよう〜!」と声をかけられたり、会釈をしたり、その他この辺りに住んでいる人は通りがかりに手を振ったり、人が少ないがために!?面白いことがたくさんある里山です。

その中でも意外とこの里山を文字通り繋いでいたのが毎日数本走るバスの運転手さん。
移り住んだ頃はびっくりしたけど、家の前を通る時に外にいたりすると必ずクラクションで挨拶していくだけではなくて乗るわけでもないのに道路で普通に停車して声をかけられたこともありました。

息子が産まれた後、お腹が小さくなった私を見かけて
「産まれたの!?おめでとう〜!」

雨の日に畑でトマトを収穫していたら
「風邪引くから無理しないでよ〜!」

本当にひしひし伝わるこの里山愛!!!
*バスの運転手の仕事としてバス停めて話をしていいかは別問題だけど、ほぼ車の通りはないし他の車の通行の邪魔をすることはなかったですよ

この辺りのイベントがある時にはたいてい参加していて声をかけられるし、通りかかる時に道にいるこの辺りの人みんなに手を振っているんじゃないかってくらいの運転手さんの知名度は凄かった!

しかも運転手さんのお休みの日には違う運転手さんがバスを運行してくるわけで、この地区のバス利用をしているみなさん、運転手さんがお休みの日をちゃんと知っていて、
「今日はあの運転手さんお休みだから気をつけて乗らないと。」
(いつもの運転手さんは道から少し離れたところに座っていてもちゃんと止まってくれるけど、他の運転手さんだと道のすぐ脇に立って合図をしないと止まってくれない)
*この辺りは一応バス停がありますが、乗車人数も少ないので好きなところで手をあげれば乗れることになってます。

という会話がされるほど。
当然のようにバスの運転手さんの住んでいる場所、名前もみんな知っていて、
バスの運転手さんってそんな個性が立つ職業だったっけ!?
ってびっくりするし、面白いし、こういう里山すごいなって思ってました。

顔馴染みになると家の周りだけではなくて10キロ以上離れた道路で車ですれ違ってもお互い手を振って挨拶する始末。
運転手さん、車と持ち主、下手したらナンバープレートも覚えてるのかも。。。

そんな里山バス運転手マスターみたいな運転手さんを最近急に見かけなくなりました。
もしかして。。。と思っていたらやっぱり定年退職されたそうで。
違う運転手さんが運転して走っていくバスが急によそよそしく感じられるようになりました。
だからこそもう一度しみじみと感じるあの運転手さんの凄さ。

岡崎市も里山のこの赤字路線のこと、もちろんそれでもと考えて今も残しているわけだけど、加えてああいう里山愛で仕事をしてくれるような運転手さんはこの後、巡り会えるんだろうか?

私はいつも街に出る時には急いで行って、急いで帰って来るので実はまだ一度もあのバスに乗ったことがなくて、2歳の息子はもうすぐ3歳になるけど産まれてからまだ一度もバスに乗ったことがない。
娘も1歳前に電車に乗ったことと、3歳ごろに一度バスと電車に乗ったけど、本当にそのくらいしか乗ったことがないからこそのバスへの憧れは激しくて、
「そのうちに家の前からバスに乗って街まで行くイベントをしてみようか?あの運転手さんいる時になら少し慣れれば1人でも乗せれるかもよ!?」
なんて夫と話をしていたのに、それも叶わぬ夢となりました。

近々定年退職するのがわかっていたならその前に乗ってみたかったのに。

今更後悔しても仕方ないんですけどね。

毎日家の前を走っていくバスを見ながら、あの運転手さんはこの里山の人たちを愛し、繋がり、確かに要になっていた。こういう人口が少なくて普段会話も少なくなりがちな人たちを見守って明るくしてくれるああいう運転手さんはこれからの未来、出て来るんだろうか?
あの運転手さんはこの里山にとって本当に唯一無二の存在だった。

そんな風に思う今日この頃…

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