内戦の終わりと勝ち負けの終わり

内戦終結6周年。
昨日のマータラでの式典もテレビ中継でしっかり見ちゃってたんですけどね。
マータラで行われたためコロンボ市内の渋滞も無く、内戦終結記念日でも祝日にはなっていないスリランカ、通常営業日でいつもとほとんど変わらない一日でした。
でも、少しだけ変わったことが。
今年の政権が代わって、内戦の終結について
「この戦争の終わりは勝ち負けを意味する終わりではなく、平和と国が1つになったことを意味するもの。『誰が勝った』、『誰が負けた』ではなく平和を勝ち取った記念日である。」
そういう流れになってきてます。
これまでは戦争を終わらせた指導者は誰なのか、どのように終わらせたのか。
そんなことがクローズアップされて来ていたのですがもちろんそれは指導者の偉大さを見せる意味もあって、これも国民の支持を得るための1つの象徴だったわけですが、今年からは政権も変わり、
「そうではない、戦争の終わりで私たちが勝ちとったものは勝利ではなく、平和である。」
そういうことを強調していました。
「もちろんこの考え方は当然そうあるべきものだと思う。」
とスリランカの友人何人かとも話をしていたのですが、その中でもタミル人であり、タミル語が母語のその友人はこんなことも言ってました。
「あの戦争で何が起こっていたのか、シンハラ語と英語しかわからない人には知りえないことがタミル語の世界でどれだけあったことか。
戦地にいたジャフナの人たちがどれだけこの戦争によって苦しい思いをしていたか。
LTTEは確かにタミルの人たちだった。
でも巻き込まれたタミルの人たちも多かった。
シンハラ語、英語では知りえない。第3の言葉の世界だよ。
だから戦争の終わりは『勝ち負け』ではなく、『平和』を勝ち取った。
これは正しいと思うよ。」

この友人はスリランカ北部の生まれではないけれどタミル人であるというだけで小さいころに家を焼かれたことがあったと聞いてた。
あまりにも小さいころだったから、どうしてみんなが自分の家を焼いたのかさえも意味が分からなかったという。
でもその理由は自分たちがタミル人であったから。
理不尽だと思っても、それでこんなことになるのはおかしいと思っても、受け入れるしかなかった。
「ここはそういう国なんだから、そしてそういう場所なんだから仕方がないこと。」
そう言って笑ってた。
民族の問題、宗教の問題、日本では多民族共生国家と言われたりもするスリランカだけど、もちろん日々いろんな、本当にいろんな問題が起こってます。
みんながみんな幸せに楽しく、良いことばかりで生活しているわけではなく、日々イザコザや不満を感じながらも生活しているのがここ。
だからこそちょっとしたことである民族、宗教に対する不満が勃発することもあります。
でもそれをまとめていくのが政府の大きな課題。
世の中は急には変わらなくて、少しずつしか変化しないけれど、少しずつの変化が最後には大きな変化になる。
これからもより良い方向に変わっていってくれればな〜と思います。

内戦の終わりと勝ち負けの終わり

内戦終結6周年。
昨日のマータラでの式典もテレビ中継でしっかり見ちゃってたんですけどね。
マータラで行われたためコロンボ市内の渋滞も無く、内戦終結記念日でも祝日にはなっていないスリランカ、通常営業日でいつもとほとんど変わらない一日でした。
でも、少しだけ変わったことが。
今年の政権が代わって、内戦の終結について
「この戦争の終わりは勝ち負けを意味する終わりではなく、平和と国が1つになったことを意味するもの。『誰が勝った』、『誰が負けた』ではなく平和を勝ち取った記念日である。」
そういう流れになってきてます。
これまでは戦争を終わらせた指導者は誰なのか、どのように終わらせたのか。
そんなことがクローズアップされて来ていたのですがもちろんそれは指導者の偉大さを見せる意味もあって、これも国民の支持を得るための1つの象徴だったわけですが、今年からは政権も変わり、
「そうではない、戦争の終わりで私たちが勝ちとったものは勝利ではなく、平和である。」
そういうことを強調していました。
「もちろんこの考え方は当然そうあるべきものだと思う。」
とスリランカの友人何人かとも話をしていたのですが、その中でもタミル人であり、タミル語が母語のその友人はこんなことも言ってました。
「あの戦争で何が起こっていたのか、シンハラ語と英語しかわからない人には知りえないことがタミル語の世界でどれだけあったことか。
戦地にいたジャフナの人たちがどれだけこの戦争によって苦しい思いをしていたか。
LTTEは確かにタミルの人たちだった。
でも巻き込まれたタミルの人たちも多かった。
シンハラ語、英語では知りえない。第3の言葉の世界だよ。
だから戦争の終わりは『勝ち負け』ではなく、『平和』を勝ち取った。
これは正しいと思うよ。」

この友人はスリランカ北部の生まれではないけれどタミル人であるというだけで小さいころに家を焼かれたことがあったと聞いてた。
あまりにも小さいころだったから、どうしてみんなが自分の家を焼いたのかさえも意味が分からなかったという。
でもその理由は自分たちがタミル人であったから。
理不尽だと思っても、それでこんなことになるのはおかしいと思っても、受け入れるしかなかった。
「ここはそういう国なんだから、そしてそういう場所なんだから仕方がないこと。」
そう言って笑ってた。
民族の問題、宗教の問題、日本では多民族共生国家と言われたりもするスリランカだけど、もちろん日々いろんな、本当にいろんな問題が起こってます。
みんながみんな幸せに楽しく、良いことばかりで生活しているわけではなく、日々イザコザや不満を感じながらも生活しているのがここ。
だからこそちょっとしたことである民族、宗教に対する不満が勃発することもあります。
でもそれをまとめていくのが政府の大きな課題。
世の中は急には変わらなくて、少しずつしか変化しないけれど、少しずつの変化が最後には大きな変化になる。
これからもより良い方向に変わっていってくれればな〜と思います。

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