牛の価値

インドで牛っていうのは神聖な動物って聞く。
スリランカでは神聖な動物とは言われないけど大切な動物だと言われる。
牛という言葉はシンハラ語としても様々な意味を持っている名詞で日本で牛というのとは価値が少し違う。

日本で牛というと・・・
乳牛[[EE:AEB21]]
肉牛[[EE:AE490]]

のイメージが強いんじゃないかな?
「牛農家で牛がたくさんいるんです。」
って聞くとまず一番に思うのは
「動物相手で大変ですね。」
ってことかな〜?
(大部分はKeikoの勝手なイメージです。間違ってたらごめんなさい。)
スリランカでは牛というと「生活に欠かせない動物」であり、昔話の中では頭の回らない動物の代名詞にもなることがあるとはいえ、人々は牛を飼うことのできる生活を夢見るというほど価値のある動物だった。
それだけ人間の生活をたくさん手伝ってくれるし、もっと言えばお見合いする場合、結婚相手の家に牛が何頭いるかもその家の資産として考えるほど価値のある動物。
その考え方は今は昔ほどではなくても全くなくなったわけでもない。
町中のお金持ちからすれば田舎の生活だけど、今でも
「牛がたくさんいる」
と聞くと
「へ〜![[pict:kirakira2]]」
と言われるみたい。
とはいえ日本と変わらず手間がかかるのは確か。
たくさん子牛が産まれてしまうとご飯となる雑草を探すのも大変だし、一日に何度かは盗まれないか、ケンカをしていないかの確認も必要になる。
当然だけど動物が家にいるということは家族全員で出掛けることもできなくなる。
田舎の家ではここ10年ほどで30頭以上に増えてしまった牛たち。
その中でまだ死んでしまったのは数頭のみ。
私がこの家に来るようになってから毎年のように2〜3頭ずつ産まれているから・・・
すでに40頭近くなってるのかも??[[pict:ase2]]
「こんなに増えてホントびっくりだしこっちは仕事が増えて大変。これ、どうするの?」
と夕方アンマーがつぶやいた時、タッターが言った。
「牛は自分たちにはもうそれほどの価値はないよ、でも国にとって価値があるからこそ守らなくてはいけないものなんだよ。
この国にはまだ牛の力を必要としている人がいるんだから。」

確かにこの家はもう牛の恵みは十分すぎるほどで、自宅では面倒が見切れないからと信用のできる親族や村の人たちに牛を預けて面倒を見てもらってる。
でもそれは面倒を見てもらえないだろうか?と聞いて預けているのではなく、困ってしまって「貸してくれないだろうか?」と来ることが多い。
「牛が余ってるよ。」と聞くと喜んで連れていく人もいるという。
先日も親族の人が
「牛、余ってたら預かれないだろうか?できたらミルクも取れるメス牛がいいんだけど・・・。」
とアンマーに聞いていた。
私たちが考えるよりもスリランカでは牛ってそれでもまだまだ人々の生活に価値のある動物なんですね。
そしてそんなスリランカがやっぱり大好きなKeikoです。

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