スリランカのクラヤ 結婚編

話が長くて困っちゃったスリランカのクラヤ マハヌワラ時代。
この時代、人々の生活ベースは基本的に物々交換。
国に住むすべての人が何らかのクラヤに属し、そのクラヤに対応する仕事を日々こなし、仕事の質を上げることが人々のするべき務めだった。
物を作るクラヤの人は自分たちが必要な分だけでなく余分に作ることでそれを周りの人に分け、その代わりに自分たちの欲しいものと交換してもらう。
人々の生活はシンプルでとてもやりやすいものだった。
交換してもらうためにはより質のいいものを作り、良いものと交換してもらう。
そのために自分たちが行わなければいけなかったのは仕事の質の向上、子孫への技術の伝達。
そう考えると理解できてくるのはスリランカでは同じクラヤの人同士でないと結婚できなかった理由。
[[pict:q]]自分たちの持つクラヤの技術を無くすことなく代々伝えて子孫の生活の安定を築くのに一番効率の良い方法は?
[[pict:a]]その答えが小さい時から自分たちの近くで仕事を見て、手伝い、それと共に生活をしてきた人同士が結婚をしていくこと。
それはクラヤだからしなくてはいけなかったことではなく、自分の子供、孫、未来の子孫の生活を守るための最大限の努力。
そう考えると自分たちの人生だけではなく自分がいなくなった後の未来のためにも息子や孫の生活を安定させて遺していこうという親心が見えてきてちょっぴり切ない気分になる。
そんな未来のためにできることをしようとする中で、先日紹介したスリランカにある結婚の種類(2013年4月23日参照)とは別に「ナェーナ マッシナー」という結婚の形式があった。
これは自分の従妹と結婚する親族内での結婚。
この結婚が行われた背景にあるのは親族であればクラヤも同じであり、日常的に交流があるためお互いの生活スタイルもよくわかっていることから家族同士の問題も少なく、技術を守っていくこともできる最適な方法であったから。
だからこそ生まれた時から「ナェーナ マッシナー」関係になる子供がいる家は当然そうなるものとして期待されて生活していくし、その二人であれば小さいころから2人だけでいることも例外的に大目に見てもらえていた。
生まれた時から許嫁のようなもん
だから。
でももしその二人の結婚が成立せず、他の人と結婚することになったりすると最初から正式な約束もしていないのに今度はそこでわざわざ許しを乞いに行く必要が出ることにもなっちゃうわけだけど。
スリランカの人たちはそのクラヤが大きくかかわる結婚はやっぱりとても難しいものだったから、ナェーナ マッシナー関係となる女性がいることはそれでもうれしいわけだけど、
反対にそういう関係にあたる女性がいない男性ももちろんいる。
スリランカにはこういったことの伝承の詩も残っていてナェーナ マッシナーの関係となる女性のいない男性は人生終わった[[pict:dokuro]]と表現されている詩もあったりするのがやっぱり何でも詩に残しちゃうスリランカらしさで、そういった詩があるからこそ当時のクラヤの重要性を知ることができる。
ところで、ナェーナ マッシナーとなる相手がいる男性本人はというと今度は生まれた時から許嫁の女性がいることから当然義理の父、義理の母、義理の兄弟となる人達も同時にわかっているということ。
そのためやっぱり今後結婚することを考えると他のおじさんたちには気軽に冗談が言えても義理の父になるおじさんの前では冗談は言えない、逆に義理の母となるおばさんとはコミュニケーションをよく取り仲良くしておくという傾向にあったらしい。
決まってるからいいかといえば
それはそれでいろいろ考えなくちゃいけないことがあった
ってことだよね〜笑
それでもクラヤが同じならいいのであれば「ナェーナ マッシナー」で決めちゃわなくてももう少し自由にクラヤ内で恋愛したら?と思うかもしれない。
でもクラヤというのは大まかに分けられたものであり、実際にはその中に更にたくさんの分類があった。
例えばアーチャーリ クラヤという鉄職人のクラヤには更に5種類の分類があった。
鉄職人といっても鉄を集めて熱して塊にする人もいればそれを加工して武器や農具を作る人もいる。
その人たちを一言で「アーチャーリ クラヤ」としていたため、ただクラヤが同じであればいいかと言えばそうでもなく、クラヤが同じでその中の分類も同じ人との結婚をする必要があった。
一族を守るためにできあがってきたクラヤだけど、それが結婚においては一大事になっていたことは確かに事実。
このクラヤは誰にも動かせないものであり、クラヤを下げることはできても上げることは王様でさえもできなかったというほどのもの。
やっぱり長いな〜と思いながら・・・クラヤの話はもう少し続きます。
次は一番上のクラヤについての話・・・

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