ゾウとスリランカの人たち

スリランカと言えばゾウ![[pict:elephant]]
このイメージって日本ではかなり強いんじゃないかと思うんですが。
ところでスリランカの人たちにとってゾウってどんな動物?
それが意外と私たちの考えるイメージとは違うんですよね。
それを知ったのはスリランカのテレビを見るようになってから。
日本ではスリランカに来たらゾウに会えますよ!ってテレビの紹介番組でもクローズアップされることもあるけど、スリランカでは
野生のゾウ被害は実はかなり深刻。
野生のゾウがいる地区では昔から田んぼの脇の木の上に小屋を作って、夜ゾウが田んぼを荒らさないように見張っていたけど、今でもその小屋があるのはその生活が残っていることを示しているし、そういった野生のゾウに出会って逃げ切れずに殺されてしまった人はちょくちょくニュースでも見かける。
今では野生のゾウが人里に来ないように電気の通った鉄線を張っていたりもするんだけど、先日その鉄線をどこかから抜け出てきてしまったゾウがいて追い払うのに必死になっていたニュースもあった。
自分の家族がゾウに殺されて泣き叫んでいる家族を見ると、私たちの考えるゾウとスリランカの人たちの考えるゾウのイメージには差がある気がする。
とはいえ野生のゾウが減っているのも確かで、ゾウのリーダ−に立派に生えて来る牙もスリランカの野生のゾウで持っているのはすでに数頭とも聞く。
ゾウは大切に保護しなくてはいけない決まりにはなっているものの、それで家族を失っている人もいる。
そういう姿を見ていると、ただかわいい、かわいいと騒いでばかりはいられないんだな〜と思う。
確かにそう考えるとスリランカの人たちはゾウを見る時、私たちよりもずっと冷めているような遠巻きで見ている気がするのはゾウの孤児院などで保護されているゾウのかわいさだけでなく、怖さも知っているからなのかもしれない。
ところで話は変わるけど、日本の動物園にゾウを見に行ったスリランカ人の友人に自分の国のゾウを見た感想を聞いたことがあったんだけど、うれしかったかと思ったらそうばかりでもなくて・・・
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自分たちでもスリランカから日本に来て、スリランカカレーが毎日食べられないだけで堪らないと感じることもある。でも自分の意志でスリランカに帰ることもできるしお店に行ってお金を払えばスリランカカレーを食べることもできる。
でもあのゾウたちは人間の都合で突然連れて来られて、今後一生スリランカには戻れないし大好きなココナッツも、ココナッツの葉っぱもめったに食べられない。もう二度と慣れ親しんだスリランカの生活はできないってことだよね。外敵によって死ぬことはない。でももし自分がそういう状況におかれたら人生本当に生きている理由が分からなくなるかもしれない。
そういう意味で可哀そうで見ていていたたまれなくなったよ。
動物園の動物はみんなそうなのかもしれないけど。

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そういう話を聞いて、確かに人間の都合で日本に連れてこられたゾウは二度とスリランカの地を踏むことはできないだろうし、食べたくても、食べたくなくてもそこにあるものを食べ続けるしかないんだろうと思うと・・・
正直それ以上ゾウの気持ちを考えるのが辛くなって私も考えるのを止めてしまったくらい。
たぶん、私にも自分の生まれた国に一生帰らず、日本食も一切食べないで一生を終えることはできないだろうと思ったし。
話が脱線してきてるけど、スリランカでも人間に害をなす野生のゾウもいるし、ペラヘラなんかで大活躍しているゾウもいる。
田舎の家で飼っている牛にだってターッタ(お父さん)が角に付かれて怪我をして帰ってきたこともあったことを考えるとゾウの大きさはその比じゃないし、ペラヘラなんかでもゾウが暴れはじめるとなかなか止められない。
野生であればその怖さはきっと相当なもの。
私も野生のゾウと生活する人たちの苦労、保護しなくてはいけないゾウの事、いろんな側面からゾウのことを知って外国人としての見方だけではなく、そこからまたスリランカの、スリランカなりの事情をもっと知っていきたいな〜。
ということで今日はゾウについて最近思ったウンチクでした[[pict:futaba]]

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