自分のいる場所

最近、この家に移ってからの大きな変化は、日本人の方のお手伝いをする機会が増えたこと。
スリランカの滞在をしている日本人の方は多いけど、そういう中でも困るのがシンハラ語しか話せない人たちとどうしても話をしなくてはいけなくなったとき。
普段の生活は片言の英語でできる。もしシンハラ語しか話せない人がいてもそういう人とはぶっちゃけ適当に笑い合って英語の話せる人とだけ手足を使ってゼスチャーをしながらでも話していればスリランカ滞在はできる。
でも何か大変な問題が起こったり、どうしても話をしなくてはいけないのに、英語がお互いに苦手だったりそれではうまく言いたいことが伝わらなかったときにどうしようもなくなってしまう。
今回、たまたまそういった通訳のお手伝いをする機会があった。
シンハラ語を勉強してきて、誰かの役に立てるとは正直思ってもみなかったし、寮を出ていなければこういった数日間に渡るお手伝いはできなかったと思うと、手伝える状況に自分の環境が変わっていたことも良かったと思った。
私がいつも思うのは「人は出会うべき時に出会うべき物や人に会う」ということ。
だから背伸びをしてもいけないし、掴み取れなかったものがあったとしても、たくさん悔やむこともない。努力はもちろん必要だけど、欲しいものが目の前を通り過ぎてもそれを手にすることができなかったときにはまだその時期ではないということだと思うことにしてる。
その反面、自分に合ったものが目の前に来たときには逃さずにつかみ取れる決断力判断力も必要だとも思う。
今回、お手伝いをする機会があったのはそういう場所に私がいたから。
手伝ってもらいたいと言われたときに手伝おうという決断ができたから。
もっと勉強することのできる場所、環境を手に入れたいと思って家を探して移ったけど、これが大学入学と同時ではなく、1年半後の今であったことも私にとってはプラスだったと思うし、もっと言えば大学に来る前に1年半スリランカ滞在をして一人で勉強していた時間もまったくの無駄ではなく、むしろ私には絶対に必要な時間だったと思う。
そしてここに来て、私のスリランカ滞在のスタイルも大きく変わったと自分自身でも感じる。
最初に2年間日本でシンハラ語の勉強をした後の1年半のスリランカ滞在。
そして1年間の日本への帰国。
その後にキャラニヤ大学へ。
周りにしてみれば最初から大学に来たらよかったし、そんなに長い間シンハラ語を勉強して時間ばっかり無駄にしてる。
そう言われたこともあったけど、一気に全部のことをすることはできないし、私にとっては私の理解しやすい速さで、必要なときに必要なものが私の近くに来てくれた結果がだと感じる。
キャラニヤ大学へ来る話ももっと勉強するためにはどうしようかと思っていた矢先に紹介をしてもらえた。
それもちょうどそのころ大学で教えられる内容を十分に理解できて、授業にもしっかりとついていける程度の力がついた時に。
日本で仕事をしていたときには毎日の忙しさに自分が幸運なのか不運なのか、どっちを向いているのかもわからなくなることもあったけど、今はあの時よりももう少し、自分の人生が生き生きとしてきていると思う。
これからも急にではなく少しずつ、少しずつ、自分の必要な時に必要な立場にいられますように。
シンハラ語を勉強した先に何があるのかはまだ相変わらずはっきりとは見えないけど、いつかこの先が森を抜けたような明るい場所でありますように。

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