ヤショーダラーワタ

試験勉強紹介第3段。
今回はキャンディ時代に書かれたヤショーダラーワタという詩の本について。
ヤショーダラーワタはシンハラ語の中期時代から長い間、代々シンハラ仏教の人々の間で親しまれてきた民間伝承の詩。
今から40〜50年ほど前、ヤショーダラーワタの詩を読んだことのない、本のない家はなかったといわれるくらい。
ブッダが出家する前、シッダールタ王子であったころに結婚していた妻のヤショーダラーは仏教に関する女性の中でも重要な位置にいる。
そんな彼女を取り上げ、詩人としての才能と仏教の本を読んで得た知識を合わせながらヤショーダラーのキャラクターを作り上げた。
キャンディ時代に作られたこの詩からはキャンディ時代の情報もたくさん知ることができる。
たとえば、シッダールタ王子の母マハーマーヤ王妃が夢をみる場面では

  “ran yahane sethapena kala bisawun    ta
   ran malawak thibuna yahana pi        ta
   ran dama wigasa demuwa dewiyo kara   ta
   alu yama mele me sihine penuni ma    ta ”
金のベッドで王妃が寝ていると
金の首飾りがベッドの上に置いてあるのを見た。
神が来てそれを首に掛けた。
早朝にこのような夢を見た。

という詩が出てくる。
ここからこの詩の先に生まれる子供がどのような人なのか、詩を読む人たちがこの夢の詩から理解するだけの想像力を持っていたことが分かる。
また、この時代の人々は徳を積んだ人は悪い夢を見ないと信じていた。
夢を信じるってどういうこと?と思うかもしれないけど、こういった話はブッダでなくても日本にもある気がする。
小さい頃に読んだ本では坂本竜馬が生まれるとき、お母さんが竜が体の中に入る夢を見たというような話があった気がする。
それで読んでいる子供は「すごい人が生まれるってお告げがあったんだ」と漠然とだけど理解する。
そしてそこから始まる話に引き込まれていく。そういうのに似ている気がする。
キャンディ時代の人々にもそういった想像力があったということ。
この他にもその時代の様子を詩の中に見ることができる場所としてシッダールタ王子が仏門に入った場面では彼女自身の起こした間違いは何だったのかと聞く詩が見られる。

  “ruwa athi puthun weduna mama weradi   da
   ruwa guna thejayak mage aduwuna wa    da
   garu saru nethi kamak mathin yeduna   da
   maru binda buduwenta sinen penuna     da ”
かわいい息子を産んだのがいけなかったのですか
私の美しさが以前よりもなくなってしまったのでしょうか
尊敬されない何かを私がしてしまったのでしょうか
死神に勝って仏門に入る夢を見たのでしょうか

ここからはキャンディ時代に望まれていた女性としての慎みを読み取ることができる。
シッダールタ王子が仏門に帰依した時、自分に何か悪いことがあったからではないか自分を責めるヤショーダラー。
これはヤショーダラーワタの場面を使い、詩人が願っていたことを書いた場面。
読む人たちも誰もが女性はヤショーダラーのようになることが理想である。
このような思いを込めている理由はこの時代の人々の様子がこれとは正反対になっていたからと言われている。
文学的にみるヤショーダラーワタはちょっと難しいけど、スリランカの人たちにとっては今もとても身近な本。
とても人間味あふれるヤショーダラーワタではシッダールタ王子もヤショーダラーもただ話の中で生きる遠い話ではなく力いっぱいその時間を生きていたように生き生きと書かれている。
だからこそスリランカの人たちの心に響いて誰もが読むようになったんじゃないのかな?と思う。
これを書いた詩人は誰なのか、また何人かで集まって書かれたものなのか詳細は分かっていないそうだけど、それでも今に残るとても有名な詩。
1つ、2つでも覚えるといいコミュニケーションのネタになるのかも!?

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