イノシシ対策

生活

今年、イノシシとシカに入られて散々だった我が家の畑。
そして、仕方がないなぁ⤵︎って凹んでただけの私。
でもご近所さんはさっさと対策を考えてくださっていたようで!
イノシシが入って来た場所と出て行った場所を特定して、柵をしっかりと補強してくださいました。

こういう時に知識と行動力、物理的な物の差を痛感します。
何かが起こった時、仕方ないと諦めて、周りの環境に対して対策をしてもらえない不満を考えているよりも、自己防衛の柵をした方が早いってことですよね。
しかもそうするだけの材料が手元にある!!!

最近は断捨離とかなるべく物を持たないように生活するっていうスタイルが好まれるし、我が家も置いておく場所がないので捨ててしまうことが多いけど、この土地の人たちはそうではなくて使えるものは大切に取っておいていつか何かの時に使う、という生活。
いや、そうではなくて、必要ないものは捨てるけど、使えるものの基準が私の見ているものとは違うってことなのかな?
トタンの板も木の杭も、畑に来てくださった時にはもう軽トラックの荷台に積んであって、柵を補強するアイデアもすでに頭の中に出来上がっていて…
こういう作業がさりげなくできるところを見ているとやっぱりこの人たちは仙人だって思います。

本当にこういう知識もなく私もこの歳まで生きてきちゃったけど、本来人が生きるために必要だったのはこういう「生きる」ということに関わる最低限の知識なんじゃないのかな?

スリランカには物々交換の時代、クラヤと呼ばれる、日本で言うカースト制度があって、各家の知識を守り、物々交換をして生活をしていた。クラヤというのは上下関係の意味ももちろんあったけれど、それよりも自分たちの持つ知識を子々孫々まで高い水準で受け継いでいくことが目的で、それが物々交換の時代にはしっかりと機能していた。
でもそこに貨幣というものが入ってきてクラヤという制度はあやふやになっていった。
今は名前だけのクラヤで、でも結婚する時には同じクラスのクラヤであることが望まれたりする。

クラヤではないけど、ご近所さんたちを見ているともし今、世の中の貨幣制度が機能しなくなって、物々交換の時代になってしまったら、その時にはきっとご近所さんたちはすごい力を発揮するんじゃないか?
そんな風に見ていて思うんですよね。

あ、先日サバイバルファミリーっていう映画を夫が見ていたので、私も隣で家事をしながらチラチラと見ていたんですけど、まさにそう、都会よりも田舎は非常時には強いってその感じです。

何かがあるわけではない。でも何もないわけでは決してない。
ご近所さんたちのささやかな生活の力強さを見ていると、私もああいう知識と生活ができる大人になりたい。
そんな風に日々思うんですよね。
いつか、私もあんな風になれるんだろうか?

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